2020年7月19日日曜日

1980年代の中国の農業




はじめに

 今回は1980年代に中国農業がどのように近代化されて行ったか、またそれによってそれまで困窮していた農夫達の生活がどのように改善して行ったかを見ていきます。


家族農業への立ち戻り

 1978年から1983年の間に、それまで非効率的だった中国の農業はその全体を根本的に改革する事になります。”世帯責任制”と言う制度が導入される様になったのです。これは即ちそれまで国家が管理していた農地を農夫達に返還し、その家族に農業を経営させるという制度でした。何故この様な動きが起きたのかを説明しましょう。
 事の発端は中国東部の安徽(あんき)省の村でした。ここで困窮した生活を送る農夫の集団が秘密裏に集まって相談し、それまで自分達の自由を束縛していた農業共同体を解体し、また彼らの集団農地も小さな区画に分解してしまったのです。こうした農夫達の反乱は瞬く間に全国に広まりました。
 安徽省の党書記であった万里(ばんり)はこうした反乱がそれまで農夫達を苦しめていた人民公社をはじめとする農夫の組織化や国家による厳格な土地の管理の仕方に対する農夫達の不満によって引き起こされたと言う事に気付いていました。そこで彼はこうした反乱に対峙して農夫達の不満をかき立てるよりも、むしろ農地を農夫達自身に返還する事を後押しする事に決めたのです。四川省の党書記である趙紫陽(ちょうしよう)もこれと同じ政策をとる事にしました。  
 ここまでは地方の話ですが、国家レベルでも徐々に農夫達の生活を困窮から救い出そうとする動きが出てきます。1978年には共産党による農産物価格の引き上げもありました。さらに1980年になると首相になった趙紫陽が副首相の万里と共に人民公社を解体し、家族農業への立ち戻りを本格的に推進しました。その結果、1982年には農業共同体は全て無くなり、家族農家が彼らに与えられた農地を自由に耕作出来る様になりました。


農業への技術導入と農夫達の収入の増加

 こうした農業改革によって穀物を中心とした農産物の生産高は急激に上昇しました。穀物だけで言えば、その生産量は改革開放直前の1978年から1984年までの6年間で1.5倍に増加しました。その結果、農夫達の収入も1979年から1984年の間に2倍にも増加しました。また、農村にある世帯の一人当たりの貯金額は改革開放直後の1979年には実質0だったのが、1989年には300人民元にまで増えました。
 それでは農夫達はどのように生産高を上げ、豊かになったのでしょうか?具体的に見ていきましょう。彼らは1980年代を通じて彼らの育てる作物を多様化し続け、また近代的な技術を次々に農業に導入して行きました。それによって彼らの農業生産高と収入はこの10年間急激な増加を続けることになったのです。ここで言う近代的な技術というのは、具体的には化学肥料だったり、揚水機、小型トラクターや脱穀機などを指します。実は化学肥料については1970年代から徐々に使われ始めていたのですが、1978年末からの改革開放を機にその使用量は増加し、1978年から1990年の間に実に3倍に膨らんだのです。生産量が増大するわけですね。
 こうした生産高の向上を見ると、収穫量を高める為に必要な肥料や新たな農業用機械を如何に農夫達が積極的に購入していったかが分かりますね。そして今度はこうした購買意欲が農業に関連した物品の製造を担う工業を活性化していく事になります。
 この様に技術導入によって農夫達の生産高が増大し、それによって彼らの現金収入が増え、同時に彼らを囲む製造業も活性化して行ったのです。そして彼ら農夫の貯蓄も日に日に増える事になります。1980年代に中国の農村部ではこうした農業経済の奇跡が起きていたんですね。


郷鎮企業と農村地区経済の発展

 農夫達はこうして溜まったお金を当時の中国ではまだ生まれたてで資金も乏しかった製造関連企業(解体された人民公社の名残のひとつ)に投資する事が出来ました。そして同時に彼らは自分達の収入を補強する為に余剰労働力で工業などの農業以外の労働に従事するようになったのです。何故なら人民公社解体後は農夫達が従事する労働の種類を彼ら自身で決定する事ができたからです。こうした農夫達の収入や働き方の変化の結果、郷鎮(ごうちん)企業が生まれます。一言で言えば農村の小規模な工業化ですね。
 この郷鎮企業は農村の農夫達の収入を増加させ、またその余剰労働力を吸収し地域経済を活性化することを目的とした公共の企業です。つまり農夫達はこの郷鎮企業に投資し、それによってその経営を成り立たせ、同時にそこで働く事で農業以外によって別途収入を得る事ができたのです。そして彼らの住む経済区画もこの郷鎮企業によって工業化を遂げる事ができました。


まとめ

 1980年代の中国農業について見て来ました。まず趙紫陽首相と万里副首相による人民公社解体と家族農業への立ち戻り改革がありました。それ以降、農夫達個人による農業への技術導入とそれによる生産高の増大と農夫の収入増加が起きました。そうして豊かになった農夫達の資金で作られた郷鎮企業は彼らの住む経済区画の発展に寄与しました。 






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