2020年10月31日土曜日

田園地帯経済の改善の為の三つの改革




はじめに

 中国では農村と都市で不動産に関する財産権に大きな違いがあり、この事が農村―都市の貧富の差の原因になってきました。農村の農夫達は土地の使用権は認められていますが、自由に自分達の農地を売却する事は許可されていません。その為都市化に伴ってその田園地帯が開発される見通しが立っても、その土地を高値で不動産開発業者に売る事が出来ないのです。その代わりに彼ら農夫達の土地は近郊の都市政府によって不当に安い値段で大量に買い上げられてしまい、そこから都市部の不動産開発業者に転売されて来たのです。つまり得をするのはいつも都市政府や都市の不動産開発業者であり、農夫達はその仲間に入れないのです。
 一方の都市家族は完全な財産権を持っており、自分達の住宅や土地などの不動産を自由に市場価格で売却する事が出来ました。特に1998年から2003年の住宅民営化計画では国有住宅に住む都市家族は格安の内部価格でそれらを購入し、後に高価な市場価格で売却する事で莫大な利益を得ていました。
 現在でも田園地帯の土地は集団所有する事が大前提となっており、農夫個人が自由に土地を売り買いすることは出来ません。また中国には食糧自給を保障する目的で農地の総面積に下限が設定されており、これが農地を開発目的で自由に売却する事を一層困難にしているのです。
 今回はこうした制約の下で中国政府が農村の田園地帯経済をどの様に改善して行こうとしているのかを見ていきます。

中央政府が現在追及している田園地帯経済の改革

 冒頭で述べた様に、中国政府は農村の土地を集団で所有する事を神聖視しており、また国家の食糧自給を保障する目的で農夫個人が容易に彼らの農地を開発向けに転売できない様になっています。
 しかしこうした制約の中でも中国の中央政府は不動産売買による経済活性などでは無く、農村には農村の健全なやり方で田園地帯経済を作る事を追求しています。 その為に必要な改革が大きく分けて三つあります。一つ目は農夫達の土地権(もちろん個人による所有権は除く)を強化する事。二つ目は機械化された大規模農業を促進する事。そして三つめは都市化ならぬ“町化”を通して農村地帯を健全に作り変える事です。

第一の改革:土地使用権の改善

 これらの三つの改革のうち、一つ目の“農夫の土地権の強化”について説明しましょう。
 2013年の三中全会およびそれに続く政策文書で強調されていたのは、田園地帯の土地の登録(農夫が30年間自由にその土地を使用出来る事を正式に認める為の登録)件数を増やす事、そして農夫達が農地の使用権を公開市場で買ったり、売ったり、また抵当に入れる事が出来る権利を強化する事の必要性でした。都市部家族が持っている財産権の様に土地を売買する権利では無く、あくまで土地を使用する権利を売り買いする権利を大いに認めて行こう、と言うのです。
 しかしここで問題があります。田園地帯の土地の正式な登録には、土地の小区画の境界の調査や、その土地の所有者を公の登録簿に記入する事など、かなりの労力がいるのです。このプロセスを経ないとその土地の財産権は有効にならないのです。こうしたプロセスを全ての農村の田園地帯に施す事が困難な理由を以下で説明します。

農村の土地の登録が困難な理由

 中国の田園地帯で登録が為されているのは50%を僅かに超える割合に留まっています。そして全ての田園地帯の登録完了には恐らく少なくとも後10年はかかるだろうと予測されています。
 何故登録がこの様に中々進まないのかと言うと、多くの場合、農夫家族によって保有されている(使用が認められている)土地は隣接しないいくつかの小区画に分裂している為、その土地の持ち主に対応した境界を定める事が困難だからです。
 また登録自体が困難であるという事以外に、土地が登録されたとしてもその名義人が男性である場合が極めて多いという問題があります。つまり、その配偶者である女性には土地の権利が無のです。実際に登録された田園地帯のおよそ90%は世帯主である男性名義です。もし彼らが離婚してしまえば、ほとんどの農村の女性は農業による収入源を失い貧困に陥る危険があるのです。こうした事態を避けるためにも、これからは性別による差別をなくした土地の登録を推進していかなければなりません。

第二の改革:機械化による大規模農業

 ここまで農村の田園地帯経済を改善する為の改革の一つとして農夫の土地使用権の改善について説明してきました。
 次に重要な改革が農業を機械化によって効率化し、大規模農業に作り変える事です。
 1978年末の改革開放以降、特に1980年代、趙紫陽と万里の農村重点政策によって農村における農業も随分と近代化しました。この時期、例えば化学肥料をふんだんに使用するようになり、また揚水機や小型トラクター、食品加工機なども導入されるようになりました。そのおかげで農業生産高も大きく膨らんだのです。
 しかしその一方で中国政府はアメリカ合衆国などで見られるような大規模な機械化農業を作る事は拒んできたのです。

まとめ

 農村における土地の集団所有という大前提や中国国内の食料自給率を保障する目的での農地総面積の下限(レッドライン)の設定など、農村における不動産経済の成長と言う面でのいくつかの制約の中で、それでも田園地帯経済が改善する様に政府が改革を行おうとしている様子を見てきました。
 政府は一つ目の改革としてまず農夫が彼らの土地“使用権”を自由に売買したり抵当に入れたりする権利を確立する事を重要視していました。しかし土地の登録の際に持ち主と彼に属する土地の境界とを一致させる事が困難である事が問題になっており、今現在でも田園地帯の半分ほどしか登録が為されていません。
 また登録の名義人がほとんど男性である事は、離婚などを考慮した際に彼らの配偶者である女性にとって非常に不利になっていました。
 そして二つ目の改革としては機械化による農業の大規模化がありました。これについてはまた次回に詳しく説明しますね。






2020年10月29日木曜日

インフラ建設ラッシュと地方政府の役人の昇格の関係




はじめに

 中国では1998年以降、住宅建設のブームと共に、インフラ建設も加速しました。これはその前年に起きたアジア通貨危機への対応として中国政府が財政刺激策を発動し、その中で特別債を利用してインフラ建設への支出を増大させた為でした。
 それ以降、高速道路、大規模な港、発電所、インターネット、高速旅客鉄道などの建設が次々に行われました。こうした大規模なインフラの導入によって、中国における物流や人の流れは劇的に改善され、中国経済は一層の発展を見せる事になりました。特に上海港はそれまで輸出規模で世界19位でしたが、この大規模なインフラ建設後の2013年にはシンガポールを抜き、世界第一位の座にまで上り詰める事になったのです。
 こうして世界一の輸出大国となった中国ですが、その背景にはインフラを過剰に建設する事で自分達の出世を叶えようとする地方政府の役人たちの欲望も潜んでいたのです。今回は中国におけるこうした派手なインフラ建設劇にどの様な原因があったのかを実際に建設されたインフラの種類なども交えて見ていきます。

近年重点的に建設されているその他のインフラ

 冒頭でお話しした様に、1998年以降の中国のインフラ建設ラッシュでは、高速道路や港、発電所、インターネット、高速旅客鉄道などが建設・導入されました。
 そして近年より重点的に建設されているのは都市部における地下鉄網や下水処理場などの比較的華やかさの無い種類のインフラです。華が無いと言っても生活には必需のものですね。地下鉄については2016年時点で中国国内の22都市で総延長3,000キロメートルが建設されました。

インフラ建設の動機と過剰で浪費的な建設計画

 中国のこの大規模かつ急速な、そして時に贅沢とも言えるようなインフラ建設劇は何が動機となって引き起こされたのでしょうか?
 もちろん、都市化に伴う中国国内からのインフラへの正当な需要があった事は確かでしょう。中国の経済計画者達はこの急激な都市化に伴うこのインフラ需要の増加を必死に満たそうと努力していました。
 しかし、インフラ建設ラッシュが起きた動機として正当とは言えないものも実際にはあったのです。後で詳しく述べますが、それら動機の中には地方政府の役人たちの出世欲もあったのです。そうした動機が重なってインフラ建設の規模や速度を強めました。できるだけ大量のインフラをできるだけ早く建てれば、中央政府からの自分達の評価も上がる、と彼らは考え、それを実行した部分がかなり大きいのです。
 こうした動機は過剰で浪費的な建設計画を生む事がありました。そして中には設計や質の面で欠陥があると言わざるを得ないインフラもかなりあったり、また時には建設場所の周辺環境との調和が取れていなかったりもしました。

綿密な事前分析なしのインフラ導入

 本来ならインフラ導入も運営開始後の採算が合わなければその建設を踏みとどまるべきでしょうが、中国の地方政府は経費と利益に関するこうした事前の綿密な分析を行わずにとにかくインフラ導入をしようとしている側面が強くありました。とにかく大規模なインフラを早急に建設しなければならない、と言ったプレッシャーがあったのでしょう。そしてこうしたプレッシャーを背景にした建設競争の中で地方政府は他の地方政府に負けじとインフラ投資に躍起になってしまい、採算をあまり考慮しなかったのです。
 こうした安易なインフラ投資の理由として、2002年から2012年の異常に低い金利や都市化に伴い土地売却による利益が急激に上昇していた事が地方政府に非常に有利に働き、彼らが低コストでインフラを導入する事を可能にしていた、という事があります。

インフラ建設ラッシュと小都市の地位向上
 前項で、低金利や地価の上昇が地方政府に容易なインフラ投資をさせていた事を見てきました。しかし、この他にもインフラ投資の動機として地方政府の役人たちの出世欲と言うのもあったのです。
 どういう事か説明しますね。中国の管理階層の中で小都市が地位を高めるためには、その小都市はインフラ設備に関するある特定の基準(レベル)を達成しなければなりません。例えば地下鉄が何キロメートル走ってなければいけないとか、インターネットユーザーが何人いなければいけないとか、そう言う基準です。そしてその基準を満たす事でその小都市が階層中の地位を向上させることに成功すれば、それは同時にその小都市政府で働く役人たちの出世も意味するのです。だから役人達は自分達が出世するためにも必死にインフラを導入しようとしたという事です。
 お役所的な刺激策という事ですね。インフラ建設にはこうした動機があった為、時にその建設計画が本当に必要かどうかという事が度外視されてしまい、ただ自分達の昇級の為に魅力的だからと言う理由だけで建設計画が実行に移されてしまう事が多々あったのです。

まとめ

 中国のインフラ建設ラッシュがどういった動機で行われて来たのかを見てきました。
 動機の中には都市化に伴う需要を満たす為と言う正当なものもある一方で、2002年から2012年の異常な金利の低さや急激な土地売却価格の上昇などが地方政府にインフラ投資を容易に行わせていた事も事実でした。
 さらには、中国の管理階層の中で小都市が地位向上を行う為にあるレベルのインフラ導入が必要であり、小都市の役人達がその小都市の地位向上に伴う自分の昇級の為に本当にそのインフラが必要かどうかを度外視して、とにかく建設を実行していた言う実態もありました。つまり地方政府の役人の出世欲がインフラ建設の動機の一部になっていたのです。






2020年10月26日月曜日

集団所有の不可侵と耕作地総面積の下限から見る農村土地権問題




はじめに

 中国の農村と都市では1978年末の改革開放以来も富と収入の格差が問題となってきました。この格差の大きな原因となってきたのが農夫達の土地に関する権利の厳しい制限です。彼らは土地をある一定期間使用は出来ても、それを所有したり、不動産として自由に土地を売買したりは出来ないのです。
 この問題を是正するためにこれまでいくつかの政策が行われてきました。例えば1990年代には農夫達による農地の標準使用期間が30年にまで延長されました。また2000年代には村当局による農夫達の農地の勝手な配置転換(他の農夫にその農地の使用権を移管してしまう事)が法律で禁止されました。
 この様に農夫の土地使用権に関する改善はいくらかあったものの、住宅を自由に売買する事で近年莫大な利益を得てきた都市部の家族とは違い、相変わらず農村の家族は土地所有権を持っておらず、土地を売ったり抵当に入れたりする事が出来ません。また、都市政府が安価に農村の土地を買い上げ、高値で都市部の不動産開発業者に売却すると言う様な習慣も続いており、都市が農村を搾取すると言う構図は相変わらず無くなっていないのです。
 今回は農村の土地権がどの様な理由で中々改善されないのかを中国独自の政治的理由や食料供給などの観点から見ていきます。

神聖視されている農村地の集団所有

 冒頭で説明した様に、農村の土地の保有権には厳しい制限が設けられており、なかなか改革が進んでいません。農夫達は土地を使用は出来ますが、それを売ったり抵当に入れたりと言う財産としての利用が権利として認められていないのです。
 農村地の保有権に関する改革が進まない理由には主に二つあります。一つ目の理由は農村地の集団所有が侵す事の出来ない神聖なものであるとされている事です。
 中国では共産党と国民党との内戦後からその勝利者である共産党による強く制限的な戸籍制度が農村部に導入されます。そしてそれ以降、農夫達の耕作する土地は個人ではなく厳格に集団で管理・所有する様に定められてきたのです。これが2020年になった今でも神聖視されているのです。実際に、この農村における土地の集団所有の原則は2013年の三中全会における改革決定文書や、それに続く農村政策声明書によって再度公に断言されました。

土地権問題の単純かつ最良の解決策とは何か?

 土地や不動産に関するいわゆる個人的財産権とは、中国都市部の住宅所有者達がこの20年間享受してきたものであり、また中国以外の日本、韓国などの東アジアの国々の農夫達のほとんどが何十年も持ち続けてきたものです。つまり中国の農夫だけが自分達の土地を自由に財産として活用できていないのです。
 ところが、中国における農地の集団所有の神聖視は農夫達にこの個人的財産権を与える事を論外のものとして政府の議題から外してきました。農地問題の解決策として最も単純で最良のものは明らかに農夫に中国都市部や他の国と同様の個人的財産権を与える事です。しかし、集団所有が絶対視されそれが前提になってしまっているのが今の中国なのです。

中国における耕作地面積のレッドライン

 この項では中国農村における土地保有権の改革が進まない二つ目の理由を説明します。それはつまり中国国内の耕作地面積にそれ以下に下がってはいけない一線、即ちレッドラインが設けられている事です。
 中国では2006年以降、中国における耕作地面積の総量が1億2000万ヘクタール以下になってはならない、という事が宣言され、そのルールが遵守されてきました。 近年、都市化が進んできた中国ですが、その一方で農業生産高をある程度きちんと維持し、食料を時給出来なければ一つの国として成り立たないと言う考えが中央政府には恐らくあるのでしょう。その為、個人が農作物を栽培する為の農地を不動産開発向けに気軽に転売できない様にあえて集団所有させているのです。

都市化に伴う耕作地面積の減少への対策

 過去20年間、特に住宅民営化が行われてから、農村の土地は急速に都市向けの土地として開発されてきました。その為、中国における総耕作地面積はこのレッドラインより僅かに上と言う状況です。
 そこで、これがレッドラインを下回らない様に、もし都市部の土地(開発済みの土地)が少しでも増加したらそれを相殺する様に農村の荒地や建設地を耕して耕作用地に戻す必要があるのです。
 こうしたレッドラインの圧力が、農村の土地に関する権利を非常に制限的なものにしているのです。このレッドラインが中国の食糧自給を保障するためのものである事を考えれば、農村の土地権が改革されない事はやむを得ないのかもしれません。

まとめ

 中国農村の土地権が中々改革されない理由を主に二つ見てきました。
 まず一つ目の理由は、農村における土地についてはその集団所有が神聖視されており、これが中央政府の会議の改革決定文書や政策声明書にも明記されている事でした。
 そして理由の二つ目は中国国内の耕作地総面積に下限(レッドライン)が設けられている事でした。中国では耕作地総面積がこのレッドラインを下回らない様に、農地の不動産開発向けの転売などが集団所有などによって妨げられていたのでした。そしてこのレッドラインは中国国内の農業による食糧自給を保障する為の物でもありました。






2020年10月24日土曜日

2000年代からの港、発電所、インターネット、高速旅客鉄道などのインフラ建設ラッシュ




はじめに

 中国では1998年の住宅民営化から住宅建設ブームが巻き起こりました。そして中国政府は高級住宅の供給過剰問題や低所得者向けの手頃住宅の供給不足問題などに対処してきました。今後は国からの助成金を得た公営住宅の建設など、低所得者向け住宅の支援が活性化すると考えられています。
 そうした大規模な住宅建設の一方で中国ではインフラ建設も盛んに行われてきました。特に1998年にアジア通貨危機を経験した事から、これに対処するために財政刺激策としてインフラへの支出を特別債を利用して積極的に行うようになったのです。
 このインフラ事業の代表的なものとしてアメリカ合衆国の州間高速道路システムをモデルにした中国国内の高速道路網の建設がありました。中国では2014年までにアメリカ合衆国の1.5倍の長さである11,2000キロメートルにも及ぶ高速道路網が建設されたのです。
 今回は中国におけるこうしたインフラ建設が高速道路以外にどのような分野で行われていったかを見ていきます。

港の輸出能力の拡張

 港は元々中国の東海岸沿いに点在していましたが、2000年代になって中国国内での農産物、軽工業、重工業製品などの輸出量が増大する事に伴い、これに対応するためにこうした港の設備も拡張されました。
 2000年代の初めには、中国の輸出の半分近くは香港経由で行われていました。何故なら当時、中国国内の港はまだ技術的な側面で遅れており、貨物を十分に扱えなかったからです。ただし、そうした国内港のなかでも唯一上海だけは世界で上位19位のコンテナ港として活躍していました。中国一の上海港でも世界19位と言う低い輸出量だったのです。
 しかし2000年代初めから2013年までに中国国内の港を通しての輸出量は実に6倍にまで増加します。この十数年間にそれだけ国内の新たな港の建設や技術的な近代化が進んだという事です。こうして2013年には中国は世界トップクラスの輸出大国となり、輸出量ランキングで中国に続く6つの輸出大国(アメリカ合衆国、ドイツ、オランダ、日本など)の輸出量合計を上回る量のコンテナを出港させるまでになりました。そして上海はそれまで輸出量1位だったシンガポールを抜き、世界最大のコンテナ港となります。ちなみに上海以外に中国国内の5つの港(深圳、香港、寧波、青島、広州など)が世界トップ10にランキングしています。
 こうして2000年代に入ってから、中国国内の産業の本格化を支えるインフラとして港が急速に整備されていったのです。

発電所の建設ラッシュ

 中国の輸出において主要な役割を担っている広東省(国際的な貿易港である深圳を抱える)では、2003年から時折停電が起こり始めます。恐らく使用電力に供給電力が追い付いていなかった為でしょう。その為、より洗練された発電所をより多く建設する為の投資が積極的に行われるようになりました。
 2003年からの10年間に、中国は何とイギリス国内の全発電所に相当する規模の発電所を毎年新たに建設しました。2002年には発電容量は357ギガワットでしたが、2014年にはこれが1,300ギガワットにまで増大しました。12年間で実に4倍も増えたんですね。これはアメリカ合衆国の1.2倍の規模です。

インターネットの導入

 中国における港や発電所と言った重厚長大なインフラ建設ラッシュの様子を見てきましたが、ここからはより近代的なインフラであるインターネットの導入について見ていきましょう。
 2003年時点で、中国国内のインターネット利用者数は僅か6,800万人でした。しかしその後、遠距離通信やインターネットネットワークといったインフラへの巨額の投資が行われ、2014年にはこのインターネット利用者数は6億5,000万人にまで増加しました。中国人口の約半数がインターネットを利用するようになったのです。 インターネット利用者数が急激に増加したという事からも、この時期に中国国内でパソコンの所有者が爆発的に増加した事も窺えます。
 また、この2003年から2014年の間に携帯電話利用者数は2億7,000万人から13億人にまで増加しました。パソコンに比べ低価格の携帯電話になるとインターネット利用者数よりもさらに利用者の数が多いことが分かります。中国人民のほとんど誰もが1台は携帯電話を所有していると言う事が何となく想像できます。

高速旅客鉄道の建設

 同時期に中国はインターネットよりもさらに高度な技術を要するインフラ建設に着手していました。それが中国国内の大量の人の移動を可能にする高速旅客鉄道です。これは日本の新幹線をモデルとしたもので、総延長実に16,000キロメートルに及ぶ大規模な高速旅客鉄道の建設計画が2003年にスタートしていたのです。
 この高速旅客鉄道建の建設計画はあらゆるインフラ建設計画の中でも最も大きな議論を呼びました。それだけ技術的に困難な課題だったという事でしょう。

まとめ

 中国において港、発電所、インターネット網、高速旅客鉄道などの近代的なインフラ導入がどれだけ大規模にかつ急ピッチで行われて来たかを見てきました。
 2000年代から中国国内の港のコンテナ輸出容量は港の整備によって急激に拡張され、世界輸出量ランキングで19位にとどまっていた中国国内トップ輸出港の上海は2013年までには世界トップのコンテナ港へと成長しました。その他の中国国内の輸出港も急成長を遂げました。
 また中国は10年で6倍と言うこうした輸出量の急激な増大に伴い、国内の電力供給網も完備するべく発電所の建設を大規模かつ急速に進めるようになりました。こうして中国はアメリカ合衆国の実に1.2倍の電力を供給できるまでになったのです。
 この他にもインターネット網をはじめとする通信系インフラの整備によって2014年にはインターネット利用者が人口の約半分にまで達しました。
 さらに人の行き来を便利にするための高速旅客鉄道の大建設計画も2003年からスタートしていました。これは日本の新幹線をモデルにしたものでした。






2020年10月22日木曜日

住宅民営化計画に表れた都市部の財産権の優越と農村の土地権の一層の改善への展望




はじめに

 中国では1978年末の改革開放以降も農村と都市の間の富と収入の格差が問題になってきました。
 それを是正する為に例えば1980年代に中国政府は農村における人民公社を解体して農地を農夫に返還したり、農産物の買い上げ価格を引き上げたりしました。
 しかしこうした農村ひいきは長くは続かず、都市部の不満が爆発して引き起こされた1989年初夏の天安門事件以降の1990年代には再び都市に重点を据えた改革が行われました。
 そして2000年代になると胡錦濤政権が健康保険や年金などの制度を農村にも導入する事で再び農村の生活を改善しようと尽力しました。
 この様に農村と都市との格差を狭める為の政策がなされてきましたが、未だにその富と収入には大きな格差が残っています。その原因となっているのが農村と都市における土地などの不動産に関する権利の違い、即ち財産権の違いです。農夫達は自分達の土地を市場価格で売る事は出来ず、せいぜいその土地を他の農夫にまた貸しすることぐらいしか出来ません。一方の恵まれた都市家族は自由に自分達の住宅を売買し、その収益を享受する事ができるのです。
 今回は農村と都市におけるこうした財産権の違いがどの様に富や収入の格差に繋がっていったか、またこの財産権の違いを是正する為に今何がなされているかを見て行きます。

都市家族が住宅民営化計画で得た棚ぼた的収益

 農村と都市の間の財産権の違いが特に顕著に現れたのが1998年から2003年の間の住宅民営化計画の時期でした。
 この時期、都市戸籍を持つ都市家族は以前国によって所有されていた住宅物件を彼らの所属する労働単位から市場価格よりもはるかに低い格安価格で購入する事を許可されていました。都市家族は市場価格ではなく、政府設定のいわゆる”内部価格”で自分達用の住宅を購入できたという事です。そしてさらに、彼ら都市家族はそうした低価格で購入した住宅を後に市場価格(都市化と人口流入が進むにつれて上昇する都市部の住宅価格)で転売する事が許されていたのです。
 都市家族はこれによって莫大な利益を得る事ができました。また、この様な資本利得に対する税金と言うのは中国にはありませんから、こうした住宅売買によって得られた収益と言うのは100%彼らの利益にする事ができたのです。住宅民営化に際して得られた、正に棚ぼた的な収益だったのです。

住宅民営化計画によって得られた巨額の資本利得

 住宅民営化の際にこうして不動産売買によって都市家族達が得た利益の総額は4兆5,000億人民元(日本円にしておよそ70兆円)でした。
 一方の農村ではこれとは逆に、農夫達は自分達の土地を不当に安い価格で地方政府に買い上げられ、大きな損失を被っていました。都市家族が享受したこの4兆5,000億人民元という額は、1990年から2010年の間に農村の農夫達がこうした地方政府による土地収用のせいで受けた巨大な損失のおよそ二倍以上の額に相当します。

農村と都市における財産権の不平等

 以上のことからも、農村居住者と都市居住者では、その財産権に正反対の違いがあることが分かります。
 つまり、農夫達は彼らの土地を実際の価値よりも遥かに低い価格で売るように地方政府から強制されてきたのです。その一方で都市で暮らす人々の中でも特に恵まれている層(都市戸籍を持ち、同時に都市部の国有住宅に住んでいた人々)は、実際の価値よりも安い価格で不動産を買い、それを後に市場価格で転売する事で生じる収益を全て自分達の懐に入れる事が出来たのです。
 この様に、農夫は土地を安く買われ、都市家族は住宅を安く買い、後にこれを高く買われていたのです。農村と都市で財産権の扱いが全くの間逆である事がわかります。 
 財産権におけるこうした不公平は都市部と農村部の間の富と収入の巨大な格差の唯一でかつ最も大きな原因であると考えられています。

農村の土地権を改善する意思は中国政府にあるか?

 富と収入の不平等を生んでいる農村部のこの財産権ですが、改善される見込みはあるのでしょうか?
 改革解放直後の1980年代などは土地を耕作する数年間の権利ですら安定したものではありませんでしたが、その後1990年代になって土地使用権(農地を耕作する権利)の期間が30年に延長されたり、また2004年になって村当局が勝手に農夫から土地を取り上げて配置転換する事は禁止される様になりました。こうして徐々に農夫達の土地の権利も国に認められて来てはいるのです。
 それでもまだ自由市場の価格に基づく自由な不動産売買という権利が農夫には与えられていません。
 こうした農村と都市の財産権の不平等を長らく認識してきた中国の学者達からの助言もあり、中国政府はこの不平等を正す為の改革に着手し始めました。
 中国政府も、過去10年間の乱雑な都市化を振り返り、今後はもっと秩序的に都市化を進めなければならないという事に気付き始めています。また都市政府が単に農村部の農地を異様に安く買い上げ、不動産開発業者に高値で売り払う事で資金を得て来た過去を踏まえ、今後はこれをもっと持続可能な方法に置き換える必要があると言う事にも中国政府がようやく気付く様になりました。
 今後の中国政府の土地権改革に期待したいですね。

まとめ

 中国農村部と都市部での不動産に関する財産権の違いと、それによってどれだけの富・収入の差が発生していたのかを見てきました。
 1998年~2003年の住宅民営化計画でこの財産権の違いが非常に顕著でした。都市家族は安値で国有住宅を買い、数年後に高い市場価格でそれらを転売する事で莫大な利益を得る事ができたのです。一方の農村の農夫達は1990年から2010年の間、不当に安い価格で自分達の土地を地方政府に買い上げられてきました。
 農村と都市におけるこの正反対とも言える財産権の在り方の違いを、中国の学者達や中国政府も徐々に認識する様になってきています。
 単に安値で農地を買い上げ、高値で不動産開発業者に売る、という地方政府の資金の得方には持続可能性がない事に気付き始めたのです。






2020年10月19日月曜日

習近平政権と公営住宅建設、およびアジア通貨危機以降の国営高速道路の建設




はじめに

 中国では1998年の住宅民営化から住宅市場がブームになっています。そしてそれはどうやらアメリカ合宿国が2007年に経験したような住宅バブルではなく、今後も堅実さを維持するものと考えられています。
 しかし一見安定している中国の住宅市場にも大きな問題があります。それが住宅市場が二層に分断されているという中国特有の状態です。この二層の内、一方は供給過剰になっている高所得者向けの高級住宅市場、もう一方は供給不足が問題になっている移住者・低所得者向けの低価格住宅市場です。こうした問題を意識し始めた中国政府は解決策としてより高い頭金やローン利率の設定などを通じて高級住宅の購入規制を強めたり、低所得者向けの公営住宅建設計画を地方に命令したりしました。
 しかしこうした対策もほとんどうまく行きませんでした。公営住宅建設計画については、地方では作りのもろい不良マンション・アパートが適当に増築されるだけでしたし、上海などの大都市では逆に高所得者向けのスラム住宅のリフォーム事業が活発になりました。
 今回は今後中国において公営住宅を含めた低所得者向け住宅が増築される見込みがどれ位あるか、また中国において住宅建設と親戚関係にあるインフラ建設はどれ位活発に進められてきたのかを見て行きます。

中国における今後の低所得者向け住宅支援

 次の10年間で、中国政府からの低所得者向け住宅への直接の助成金や抵当保証を通じての間接的な援助はかなり進むと見込まれています。アメリカ合衆国では連邦住宅抵当金庫が抵当保証を行っていますが、これと同じ事が中国でも行われるという事です。
 これらが上手く進めば、近い将来、低所得者でも助成金を得て比較的低価格で住宅を購入できる様になるでしょうし、住宅ローンを組む場合でも、抵当保証があるのでもし入居者がローンを返済できない状態になっても自分達の住んでいる住宅を担保にとってもらう事で自己破産のリスクを回避出来るようになるでしょう。
 ただ、習近平政権は中国経済において市場原理こそが強く働くべきだと考えているので、こうした政府による公的な住宅支援政策と言うのはある意味中央政府との間に緊張を生むものかもしれません。

改革初期のインフラ建設

 話を40年ほど前に戻します。
 中国では1978年末に改革開放が始まり、本格的に経済が改革されていきます。これに伴って都市化が進み、農村から都市へ労働者が次々に流れ込み、彼らが住む為の住居や寮の建設、またその中での生活を可能にするためのインフラ建設への需要が急激に高まります。こうしてインフラ支出ブームが起きるようになったのです。
 中国が改革時代の初めの20年間に重点的に行ったインフラ投資は、主に道路や港と言った陸、海の輸送網および電線などの通信ネットワークに対するものでした。

アジア通貨危機への対応としての1998年の財政刺激策

 1997年からタイを中心にアジア各国の通貨価値が下落した、いわゆるアジア通貨危機が起きます。中国政府はこの対応として1998年に財政刺激策を発動します。その主要項目は特別債を発行する事によって得られた融資をインフラ建設に充てる事でした。アジア通貨危機という逆境が中国のインフラ建設への投資を活性化させたのです。
 考えてみれば1998年と言うのは住宅民営化が始まった年でもあり、その後住宅建設件数が急激に増加し始める契機となった年です。住宅への需要が高まっていくと言う背景の中でそれとセットの事業であるインフラ建設への投資が盛んになって行ったのですね。

国営高速道路の建設

 1998年に中国でアジア通貨危機を乗り越える策として打ち出された財政刺激策の中で、インフラ建設への投資が主要な項目でした。
 では実際にどの様な種類のインフラが建設される様になったのでしょうか?
 主な費目としてアメリカ合衆国の州間高速道路システムをモデルにした国営高速道路網を中国国内に建設する事がありました。この計画は見事に成功しました。
 1997年には5,000キロメートル足らずしかなかったこの国営高速道路は7年後の2014年には20倍以上の総延長の112,000キロメートルにまで達しました。これはアメリカ合衆国の州間高速道路システムのおよそ1.5倍に相当する長さです。
 他のインフラ建設計画もこの国営高速道路網の建設に続いて次々に実現されていく事になります。

まとめ

 中国の住宅問題である公営住宅建設が今後どのくらい進む見込みがあるか、そして住宅建設と近しい事業であるインフラ建設が改革開放以降具体的にどの様に進められてきたかを見てきました。
 現政権である習近平政権は市場原理を中国経済の主役に据えたいと考えている事から、政府による低所得者向け公営住宅への支援は中央政府との間にある種の緊張状態を生みかねない事が分かりました。
 また中国では改革初期の20年(1978年~1998年)で都市化と共に、道路、港、通信ネットワークなどのインフラ建設が重点的に行われてきました。そして1997年のアジア通貨危機を境に、財政刺激策の一つとして大陸内輸送における重要なインフラである国営高速道路網が建設される事になり、2014年までにアメリカ合衆国の州間高速道路の1.5倍の規模にまで建設が進みました。
 そして他の種類の大規模インフラもこれに続いて次々に建設されるようになって行きました。これについてはまた次回以降お伝えしますね。






2020年10月17日土曜日

農村と都市での不動産権の違い




はじめに

 中国では1978年末の改革開放以降も農村と都市との間の大きな経済的格差が問題とされてきました。
 農村の貧しさを改善する為に趙紫陽と万里は1980年代に農村改革を行います。
 しかしその後1990年代に江沢民政権になると都市重点の改革が進められ、農村経済は停滞する事になります。
 その後2000年代になって胡錦濤政権になると再び農村の改革が進み、健康保険や年金、ベーシックインカムなどの社会サービスが農村に導入され、農村での生活が大きく改善されるようになります。
 しかしこれでも都市と農村の間の格差は完全には無くなりませんでした。その原因になっているのが農村の農夫達の土地に関する権利の制限でした。1990年代から2000年代にかけて農夫の土地使用権に関しては随分と改善されてきましたが、未だに土地所有権を含めた財産権が農夫達には与えられておらず、農村家族は都市部家族の様に自分達の不動産を自由市場価格で自由に売却する事が出来ません。その代わりに不動産開発目的で都市政府に不当に安い価格で大量の土地を買い上げられてしまう習慣が後を絶えないのです。
 今回はこの不動産に関する権利の農村と都市での大きな違いが具体的にどのようなものなのかを見ていきます。

中国で住宅を購入するとはどういうことなのか?

 中国では都市と農村で不動産の所有の仕方はどの様に異なるのでしょうか?
 農村の土地は村に存在する集団によって所有されています。一方の都市部の土地は国が所有しています。不動産は個人によっては所有されていない、と言う点では農村でも都市でも共通しているんですね。
 だから、例え都市部で住宅を購入する場合でも、これはその土地と住居をまるまる自分のものにしている訳ではなく、あくまでも一般的に70年と言う長期の借家権を買っているだけなのです。一方の農村では農夫達は自分達の土地に関して30年の使用権を持っているだけです。
 こうして見ると期間の長さに違いはあるものの、農村と都市とで土地の権利にそれ程大きな違いは無いようにも見えます。しかし実際にはとてつもなく大きな差があるのです。以下では不動産権に関するこの差について具体的に見ていきます。

農夫は土地を売る権利を持っていない

 農村の土地でも、例えばそこに新たに建築物(マンション、アパートなど)を建てれば、土地の価値は上昇するでしょう。この様に、農村の土地をより価値の高い用途の土地に変換する事を見込んで不動産開発業者達は高値でそうした農村の土地を購入しようとするかもしれません。しかしそれらの土地の名目上の所有者である当の農夫達はそうした不動産開発業者をはじめとする土地購入希望者にその土地を売却する権利を持っていません。
 彼ら農夫が出来る事と言えば、耕作権をまた貸しする事、つまり自分達の耕作してきた土地を別の農夫に貸して耕作してもらう事だけなのです。農地は結局農地としての利用価値しかないという事です。そしてもし都市政府がその農地を不動産開発目的で購入する事になっても、不当に安い価格で買い上げられてしまうのです。

都市部の住宅所有者は市場価格で不動産を売却できる

 一方の都市部の住宅所有者には、完全な財産権が与えられており、自由に不動産を売買できます。彼らは自分達の不動産を個人事業者にでも都市政府にでも誰にでも自由に売却する事が出来ます。しかもその売却価格は市場が耐え得る価格ならいくらでもいいのです。
 近年、中国都市部へは増々多くの人が移動しています。それにつれて都市不動産であればどんな物件でも一定不変に価格は上昇しますが、都市住宅所有者は完全に自由にこの価格上昇について把握する事が出来ます。そして中国では、資本利得(不動産などの購入と売却の差額によって生じる利益)へは税金が課せられていません。その為、価格上昇後の住宅の売却によって得られる利益の全ては彼ら都市住宅所有者たちのポケットにそのまま入る事になるのです。
 この事からも、都市住宅所有者の不動産に関する権利が農村の農夫達の場合とは大きく異なる事が分かります。都市住宅所有者もその住宅を法的には所有している訳では無いのですが、実際には彼らは彼らの不動産を市場価格で誰にでも自由に売却でき、それによって生じる利益も100%自分のものにすることが出来るので、日本やアメリカ合衆国などの自由主義国における不動産所有者と実質変わらない権利を持っている事になります。

都市居住者が購入する不動産の数には制限が無い

 農村に住む農夫に与えられた土地権とは、単に彼らの一切れの土地を個人的に耕作する権利です。或いは別の農夫に自分達の耕作地をまた貸しする事ならできます。しかし市場価格で自由に売却する事は出来ません。
 一方の都市居住者は、彼の経済力が許す範囲でいくらでも多くの住宅を購入することが出来ます。そして市場原理によって価格が上がった後にそれらを売却できる事は勿論、他にも例えば、購入した住宅を複数の誰かに貸し出し、賃貸収入を得る事も出来ます。或いは抵当金の担保物件としてそれら住宅を利用し、得られた抵当金を使って小規模な事業に融資し大きなリターンを得る事も出来ます。
 この様に都市居住者であれば購入できる不動産件数に制限が無いので、利益を目的とした多種多様な不動産の利用が出来るのです。

まとめ

 農村と都市での不動産に関する権利の違いを見てきました。まず、中国では農村でも都市でも個人はその不動産を所有は出来ず、農村の場合は集団によって、都市の場合は国によって所有されています。
 しかし、農夫達が自分達の土地を自由な価格で売却できない一方で、都市住宅所有者達は市場価格で誰にでも彼らの不動産を売却できます。そしてそれによる利益は非課税でそのまま彼ら都市住宅所有者のものになるのです。また、今では都市居住者達の住宅購入件数には制限もありません。だからいくらでも不動産を購入し、賃貸や抵当金の担保など、様々な目的でそれらを利用できるのです。
 ここに農村と都市での不動産権の大きな差があり、これが農村と都市での富や収入の大きな格差の原因となっているのです。






2020年10月14日水曜日

公営住宅建設からリフォーム(住宅格上げ)事業への移行




はじめに

 中国の住宅市場は高所得者向けの高級住宅市場と、低所得者向けの手頃住宅市場の二層に分かれてしまっており、前者は供給過剰、後者は供給不足の状態が続いてきました。この事を問題視した中国政府は高級住宅の供給量を抑制する為に、高級住宅購入の頭金やローン利率を高く設定するなどの措置を取りました。しかしこうした政策は売れ残り物件を早く売却したいと思っている市場の圧力に負け、2015年頃までには再び解除される事になります。
 また政府は、手頃住宅の供給不足の問題については、低所得者向けに公営住宅を建設する計画を打ち立て、各地方都市にこの建設を命令する事で解決しようとしました。しかしこの計画も、財源不足や具体的な建設方法の欠如などが原因で、結局は高所得者向けの格上げ住宅へのリフォーム計画に様変わりしてしまう事が多かったのです。
 今回は住宅市場の第二層の問題(低所得者向けの手頃住宅の供給不足)を解決するために立てられた公営住宅建設計画がどの様に堕落し、当初の目標から逸脱していったかを見ていきます。

3等、4等都市での公営住宅建設計画の実態

 中国の都市はその世帯数や経済規模などの指標によって1等から5等まで等級が割り当てられています。勿論、1等都市と言うのは、ご存知の主要大都市である北京や上海などが該当します。上海ではこの公営住宅建設計画はスラム化した住宅をリフォームして格上げすると言う計画に様変わりしてしまいました。
 では3等或いは4等都市の場合はどうでしょうか?これらの比較的経済規模の小さい都市では、状況はもっと悲惨でした。これらの都市は中央政府からの公営住宅建設命令に対し、都市中心からはるかに離れた安い土地に早急にいくらか見かけ倒しの劣悪なマンションを建てる事で対応しました。作りももろく、近場に購買施設は無く、交通手段も欠如していた為、こうした住宅に人が住む事は実質不可能でした。にもかかわらず、これら3等、4等都市は中央政府に“公営住宅建設任務完了”と宣言したのです。中身の無い、正に見かけ倒しの計画に成り下がってしまっていたのです。

今日の公営住宅建設はどの様に融資されているか?

 公営住宅建設の為の財源は建設計画初期には殆ど用意されていませんでした。それでも先述の様に見かけ倒しの建設など、何らかの形でこの計画は遂行されてきました。
 では今日の公営住宅建設はどの様な方法で融資されているのでしょうか?まず中央政府から地方政府への譲渡金があります。それから地方の財源、債券、銀行ローンなどがゴタゴタに混ざった形でも融資されています。
 これらの融資によって実に12もの異なる建設計画がバラバラに進行しており、とても明確な目標を持ったまとまりある計画とは言えない状況です。
 また、これらの融資の内、中央政府からの譲渡金と言うのも地方政府にとっては負担となる場合が多い様です。地方が安心して管理できる財源ではないという事です。
 さらに、銀行ローンを受ける際に地方の土地財産をバックアップとして利用しますが、その査定額が非現実的に高い事も問題とされています。もし地価がその査定額から急落したらローンはたちまち返済できなくなってしまうからです。
 中央は相変わらず地方の事を殆ど考えていない様です。

低所得者向けの手頃住宅から高所得者向けの格上げ住宅へ

 結局、公営住宅建設計画は当初の低所得の人々が購入できる新しい住宅を多数建設する、と言う目標から逸脱し、貸し出し可能な既存の低質な住宅をリフォームによって格上げする事に注力する様になってきました。
 しかしこれはある意味で歓迎される事態ともいえるのです。何故なら、政府が初期に見込んでいた低所得者が住宅を購入する際に支払える前金の額が、現実のものより遥かに高かった事が徐々に明らかになってきたからです。低所得者は実際には手頃だとしても住宅を購入する様な金銭的余裕など殆ど無かったのです。そうであれば、高所得者向けに古びた住宅をリフォームし、格上げした上で売った方がよっぽど採算がとれるという事です。

住宅問題における政府の役割と市場の役割

 低所得者向けの手頃住宅不足の改善など、中国都市部の住宅への要求を満たす事は今後20年あまりにかけて難しい課題になり続けるでしょう。
 公営住宅の建設を実現するという事は政府の役割が増えるという事です。そして高級住宅の供給過剰を抑制するという事は市場の役割を減らすという事です。この二つの方針を取る事で政府は住宅問題を解決しようとするでしょう。勿論、この政策には良い面も悪い面もあるでしょう。国が主導権を握るという事は結局都市偏重に舵を切る事に繋がり得るからです。そして都市偏重という事は政策が移住者や低所得者ではなく都市戸籍を持つ富裕層に有利に働くという事だからです。
 しかしそれでも2000年から2010年の間、都市住宅のおよそ2/3が市場によって供給された、と言う事実を見ると、やはり今後は政府が大きな役割を持たなければならない事は明らかです。この内、残り1/3は公営住宅か、或いは政府機関や国営企業によって建てられたそれらで働く労働者向けのアパートでした。勿論、こうしたアパートは国から助成金を受けて建てられました。1/3と言う数字から、政府の役割がまだ小さかったという事が分かります。

まとめ

 低所得者向けの公営住宅建設計画が地方都市でどの様な形に変質して行ったかを見てきました。
 地方政府は中央政府からの公営住宅建設命令に一応従いはしたものの、実際に建てられていたマンションは劣悪で環境も悪く、とても人が住めるような建築物ではありませんでした。また、こうした堕落したまとまりのない建設計画への融資の仕方も多種多様で、頼りない地方の債券や銀行ローンを利用していました。
 そして近年では強調されるのは低所得者向けの手頃な住宅を建設する事ではなく、徐々に高所得者向けのリフォーム(住宅格上げ)事業になって行きました。
 今後も低所得者向けの手頃住宅の供給不足は問題になり続けるでしょうが、中国政府はおそらく政府としての役割を増やし、市場の役割を減らす事でこの問題を解決しようとする事でしょう。






2020年10月12日月曜日

政府による安価での農地の買い上げ政策




はじめに

 中国農村部では改革開放以降も農夫達が耕作中の土地が村当局によって途中で取り上げられ、他の農夫世帯の下に配置転換されてしまうと言った習慣がありました。農夫による長期的な土地の使用がまだ認められていなかったのです。そこで1990年代から2000年代を通じて政府による法改正が行われ、農夫達の土地の使用権が正式に認められるようになって行きました。これによって農夫達はより安定して長期間、自分達の農地を耕作できるようになりました。
 しかしそれでもまだ、政府は農夫達が彼らの土地を自由に売却できる様な農夫の完全な土地所有権までは認めませんでした。政府は農村世帯が不動産業に参入して大きな収益を得るような事を妨げようとしていたのです。その一方で都市政府は近郊の農村部の土地を低価格で買い上げ、高価格で都市不動産開発業者に売却する事を中央政府に奨励されていました。
 今回は政府のこうした都市優遇的な農地買い上げ政策によってどれだけの富が農夫達から奪われていったのかを、そうした政策の目的と共に見ていきます。

政府による農地の安価での買い上げと農夫達の損失

 農夫達が彼らの農地を自由に売却できないのをいい事に、中国の都市政府は近郊の農地を安価で買い上げ、それを都市部の不動産開発業者に高値で売却し、大きな利益を上げていました。そして不動産開発業者は都市政府から購入した土地に住宅やオフィスを建て、それを購入者に売る事で大きな利益を得ていました。
 こうした政府による安価な農地の買い上げによって農夫達が被った損益と言うのは莫大でした。世界銀行によると、こうした買い上げによって1990年から2010年の間に実に2兆人民元(現在の金額にしておよそ32兆円)もの価値が地方政府によって農夫達から不当に奪い取られました。つまり総計して市場価格よりも2兆人民元安く土地を買い上げられたのです。
 もし農夫達がきちんとした市場価格で彼らの土地を購入してもらい、また同時に彼らが農業などを通して投資した分だけの地価の上昇を投資利益率としてきちんと享受できていたら、彼らの財産は今より5兆人民元(80兆円、或いは中国のGDPの8%)多くなっている事でしょう。

農地の安価な買い上げ政策における政府のもくろみ

 こうして農夫達に莫大な損益をもたらした政府による農地の安価な買い上げ政策ですが、この政策には中国政府の大きな目的がありました。それは政府が農地を買い上げて農夫の仕事場をあえて奪い、彼らの仕事場を農村から都市へ移動させることで都市の経済成長を促すという事でした。
 2000年代初頭までに、中国政府は中国の経済成長を最大化させる最も適した方法とは、即ち出来るだけ多くの人々を出来るだけ早く農地から引き抜き、より生産性の高い都市部の職業に投入していく事である、と言う事に改めて気付くようになったのです。
 現在、中国のGDPに占める農業の割合がたったの9%と、改革開放が始まった1970年代後半の37%に比べて極めて低くなった(また、それによってGDPが上昇した)のも、こうした大規模な農地買い上げ政策があった事が原因の一つと考えられます。
 市場価格よりもうんと安い価格で大量に農地を買い上げてしまうと言う方法は短期的には農夫達にとっての不公平を生んでいる様にも見えますが、長期的には彼らの職業を都市部のより生産性の高いものに変え、中国全体としての生産性も上昇させると言う国家本来の目標を達成できていると言えるかもしれません。

政府が農夫を騙す事は問題無い?

 中国政府は結局、土地の安価な買い上げで農夫達から市場価格に応じた大金を騙し取った事になるのですが、当の政府はこれを問題視はしていないようです。政府が心配していたのは、もし農夫達が完全な財産権(土地所有権を含む)を持ち、自由に彼らの土地を売却できるとすると、目の鋭い不動産投機家達に騙され、損益を被る事になるかもしれない、という事でした。
 つまり政府は、農夫達が政府関連の購入者によって公正な土地の値段を騙し取られる事については問題ないと考えていましたが、個人の購入者が安値で農夫から土地を購入する事は違法と捉えていたのです。国が行う事であればそれは合法的であると言う、如何にも共産党一党支配の国である中国的な考え方ですね。

不平等政策が富や収入の分布に与えた影響

 こうした都市偏重型の政策によって農村と都市における富や収入格差がどれだけ広がったかを理解する為には、結局、農村と都市における不動産に関する財産権の食い違いを理解しなければならない事になります。
 都市戸籍を持つ都市部の家族は完全な財産権を持っており、上昇し続ける市場価格で自分達の不動産を売却する事が出来ます。一方の農村の家族はそれが出来ず、代りに彼らの土地を安値で都市政府や地方政府に買い上げられるだけです。従って富や収入にどんどん差がついてくるのです。
 この農村と都市における財産権の違いについてはまた次回具体的に見ていきたいと思います。

まとめ

 中国政府による大量の農地の安価な買い上げ政策によって、農夫達が本来得られる筈の利益をどれだけ大きく失っているかを具体的に数字で見てきました。これによって農夫達が総計でGDPの8%にも及ぶ額だけ損失を被っている事が分かりました。
 しかし同時に、政府がこうした一見不公平な政策を通して、農村から都市への労働人口の移動を起こし、労働者の生産性を上げる事で究極的には中国全体のGDPを上昇させようとしている事も分かりました。
 また、農夫達にとって不公平に見えるこの安価な農地買い上げ政策も、国の行っている事だからと言う理由で中国国内では正当化されている様です。
 次回は不動産に関する財産権が農村と都市でどれだけ違いうのかを具体的に見ていきます。






2020年10月9日金曜日

公営住宅建設計画のずさんさと相変わらずの高級住宅供給過剰




はじめに
 1998年の住宅民営化以来、中国の住宅市場は二層に分断されてしまっています。一つは高所得者向けの高級住宅の市場。もう一つは農村からの移住者や低所得者向けの手頃価格の住宅市場です。そして前者は供給過剰、後者は逆に供給不足の状態が続いてきました。
 この事を問題視し始めた中国政府は2010年頃から徐々に高級住宅の供給過剰を抑制する為に住宅購入の際の頭金やローンの利率を引き上げたり、投資用不動産の購入可能軒数に制限を設けたりと、購入規制をする様になりました。また低所得者向け住宅の供給不足の問題についても、公営住宅の建設を推進する事で解決しようとしました。しかし実際にはこうした政策は目覚ましい成果は達成できませんでした。
 今回は住宅市場二層問題を解決するための政府によるこれらの政策がどの様な結果になったのかを、その原因と共に見ていきます。

低所得者向け公営住宅の大建設計画

 中国政府は高所得者向けの高級住宅が供給過剰にある一方で低所得者向けの手頃な住宅が供給不足にあると言う問題を受けて、低所得者向けの公営住宅の大建設計画を打ち立てます。
 具体的には第12回5か年計画期間(2011年-2015年)の間に3,600万軒の公営住宅を建設する事を計画に盛り込みました。これは年間にして700万軒という膨大な数です。中国における当時の年間の全住宅竣工数が1,000万軒だったので、非常に野心的な目標だった事が分かります。

高級住宅の購入規制の解除

 冒頭で述べた様に、中国政府は2010年ごろから住宅購入時の頭金やローン利率の引き上げ、また購入可能物件数の制限など、高級住宅の供給過剰を無くす為にさまざまな購入規制を設けましたが、これは果たしてうまくいったのでしょうか?
 確かに、こうした政策によって住宅価格の上昇ペースは和らぎました。これによって低所得者でも手の届く住宅が増えた事も成果として認められるでしょう。住宅価格の上昇が抑制され、低所得者でも住宅を選ぶ選択肢が広がったという事ですね。
 しかし、これによって当初意図していたような高級住宅の供給過剰を減らす効果を得る事は出来ませんでした。そして2015年初頭までには、再び購入規制は実質全て解除されてしまいます。と言うのも当時、売れ残りのアパートなどの物件が中国国内には大量に存在し、これが原因で市場の住宅部門はそれらの売れ残り物件を早く売却する様に都市政府や不動産業界などから強い圧力をかけられていたのです。その為住宅市場は再び頭金やローン利率を引き下げ、高所得者が簡単に高級住宅を購入できる状態に戻ってしまったのです。

公営住宅建設計画の失敗

 住宅市場の二層問題の第二の対策として行われた公営住宅の建設計画についてはどの様な成果が得られたのでしょうか?
 結論として言えば、ほとんどうまく行かなかった様です。と言うのも、この公営住宅建設計画は、政府からの命令ではあるものの、それを実行する為の具体的な仕組みが完全に抜け落ちていたからです。また建設の為の融資も不十分でした。
 地方政府は彼らがノルマとして何件公営住宅を建てなければならないかを中央から命令されましたが、具体的にどの様にそれを実行すればいいのかについてのアドバイスが殆ど無かった為、動きようがありませんでした。そして少なくとも計画の初期は財政支援も最小限に留められていました。低所得者向けの住宅を大量に作ろうと言う掛け声だけは中央政府からあった様ですが、そうは言っても本格的な財政支援はなされず、その方法も不完全だったため建設計画は迷走したのです。

当初の目標からの大きな逸脱を生んだ公営住宅建設計画

 公営住宅建設計画は具体的に都市にどの様な変化をもたらしたのか見ていきましょう。結果は低所得者達が安心して住める大規模な公営住宅があちこちに林立する、と言う当初の目標からは大きく逸脱したものでした。
 上海の様な豊かな都市ではこの建設計画は結局、スラム化した住宅を高所得者向けの近代的な物件としてリフォームして格上げすると言う計画に様変わりしてしまいました。この上海の例は、崩れかかった住宅を低価格でリフォームできるという事を考慮すればある意味賢い計画だと言えます。
 しかし、その様なリフォーム物件を購入できるのは低所得者ではなくやはり高所得者であり、こうした政策が低所得者や移住者が都市部に中々住めないという問題をさらに深刻なものにしているのも事実です。

まとめ

 高級住宅の購入規制や公営住宅の大建設計画によって、中国政府は中国国内の住宅市場が二層(供給過剰の高級住宅層と供給不足の手頃住宅層)に分かれてしまっていると言う住宅市場における巨大な問題を解決しようとしました。
 しかし実際には売れ残りの物件を早く売却しなければならないと言う都市政府や不動産業界からの圧力に負け、2015年初頭までに購入規制は解除されてしまいます。
 また低所得者向けの公営住宅建設計画についても、中央政府からの命令(掛け声)はあったものの、財源不足や方法論の不足によって計画は迷走し、実質は都市政府や地方政府の都合のいい様に計画の形が変わってしまっていました。この計画によって、上海などの大都市ではリフォームによって都市部の高所得の家庭が喜ぶような高級住宅しか作られないケースが目立ったのです。






2020年10月7日水曜日

農村における土地使用権の改善と政府による相変わらずの都市偏重の方針




はじめに

 中国では胡錦濤政権になってから、農村部の生活は随分と近代化されました。ベーシックインカムの普及や健康保険、年金の導入、さらに農産物の政府買い上げ価格の引き上げを通しての農夫の収入の増加が行われたのです。
 しかし、こうした改革を経てもまだ都市と農村では収入に3倍近い差があり、都市と農村における格差は完全には是正されていません。
 その原因となっているのが農村における農夫の土地に関する権利が殆ど認められていない事でした。せっかく耕作してきた土地を村当局に取り上げられ、別の農夫の家族の下へ配置転換されてしまう事が頻繁に起きていたのです。これでは農夫達は安心して自分達の農地を使用することが出来ません。
 そこで中国政府は2000年代に入ってから農夫達の土地使用権を盤石なものにしようと様々な法律の改定を行ってきました。
 今回はこうした農夫の土地使用権に関する法改正によって農夫達の農業がどの様に改善されていったか、そして同時に未だ彼らに認められない土地所有権の問題などについて見ていきます。

法律改正と農夫の土地使用権証明書の普及

 2004年に、村当局が勝手に農地の配置転換を行ったり出来ない様に法律が改正されました。そしてその後も農夫達の財産権の一部として正式に土地使用権が認められるようになったのです。こうして農夫達はきちんとした契約書に基づいて安定して30年は自分達の土地を耕作できるようになりました。
 ただし、改正された法律の厳格さはものによって異なっていたと言われています。法律がきちんと守られている事もあれば、あまり順守されていない法律もあったという事です。
 しかし、貧困世帯の土地権を守る為に活動している非営利組織であるランドイーサ(Landesa)による2010年の調査によると、こうした法律の改正によって今では中国の農夫家族の60%あまりが土地権に関する証明書を所有し、約50%が正式な契約書を持っているという事です。
 まだ半数ほどにしか証明書や契約書がいきわたっていない事からも、法律の厳格さという意味で完ぺきとは言えないことが分かります。さらに、証明書や契約書を持っている農夫達はあくまで土地の使用権がきちんと法的に認められているだけであり、土地の所有権についてはまだ持っていません。これについては今後の課題として議論され、また時期を見て徐々に改善されていく事でしょう。

安定した土地使用権が生んだ安心と投資への意欲

 1990年代から2000年代を通してのこうした法改正によって以前に比べてより安心して長期間自分達の土地を耕作できるようになった農夫達は自分達の農業に長期的な展望を持てるようになりました。
 彼らは例えば常設の温室(ビニルハウス)や先進的な灌漑システムなどを農地に導入するなどと言った、生産性を上げる為の高価な投資をより積極的に行うようになったのです。
 さらに、村当局の目を気にせず、比較的安定した土地の使用が可能になった事から、農業関連事業も興るようになります。具体的に言えば、ある農業事業者が自分達の耕作地に隣接する耕作用小区画の集まりをまた借り(リース)し、集まった広大な耕作用地を用いて大規模な機械化された農業を開発し始めるようになったのです。

相変わらず認められない土地所有権

 過去20年程の法改正で農夫達の土地権は強化され、比較的多くの農夫家族に認められるようになりましたが、中国政府は同時に彼ら農夫達が土地権によって大きな利益を得る様な事を相変わらず妨げようとしていました。政府は農夫達の持つ土地権の金銭的な価値が可能な限り低くなるように必死に動いていたのです。相変わらず都市に比べて農村は貧しくある様に政府が働いていたという事です。政府が具体的にどのように働いていたのか見ていきましょう。
 まず一つには、中国政府は農村の土地そのものの所有権は個人ではなく、相変わらず集団に属すると主張し続けました。政府は農夫個人の土地所有権を認めなかったのです。それはつまり、個々の農夫が彼らの土地を売ったり、或いは土地を担保にしてお金を借りたりする権利が無いという事です。もしその農村のある区画が都市化され、それにつれて農地の地価が上昇しても、それを個人で自由に売却することが出来ないので、農夫達には全く利益はありません。だから農夫達は相変わらず農業や地元の小規模企業での仕事を通してしか収入を得る事が出来ないのです。

都市政府による農地の転売

 中国の中央政府が農夫達が土地権を利用して大きな利益を得ない様に他にどんな政策をとっていたかを見ていきましょう。
 中央政府は、農夫達が彼らの土地を自由に売買できない事をいい事に、中国の都市政府が近接する農村の広大な農地を手頃な価格で手に入れ、それを大きな利幅で不動産開発業者に転売する習慣を許容していました。まず低価格の農地を大量に購入し、暫くしてそれらの土地が都市化され開発の見通しが立った後で不動産開発業者に高価格で売却する事で、莫大な利益を得ることが出来ます。しかしこれを行えるのは農夫ではなく、それらの土地を自由に売買する権利を持つ都市政府だったのです。
 一方の農夫には相変わらず土地所有権が認められていないので、上記の様な土地の転売など出来ません。こうして農村の都市化に伴う地価の上昇や土地の開発による利益も実質その全てが農夫では無く、都市政府や都市不動産開発業者の手に渡っていたのです。また都市不動産開発業者は彼らが都市部に建てた住宅やオフィスからも大きな利益を得ていたのです。
 都市部でも農村でも不動産事業によって利益を得ることが出来るのは、農夫では無く、結局都市の特権階級だったのです。

まとめ

 1990年代から2000年代を通じての農夫の土地権に関する法改正によって、農夫達は比較的安心して土地を耕作できるようになり、農業はより効率的に行われるようになりました。
 しかしその一方で、農夫達の農地所有権は相変わらず認められず、不動産の売買によって大きな利益を得る機会は彼らに与えられないままです。代わりにそうした権利を持つ都市政府が手頃な低価格で農地を買い上げ、農村の都市化に伴い地価が上昇し、開発の見通しが立った後、高価格で都市の不動産開発業者に売却する事で大きな利益を得ると言う習慣が続いてきました。
 結局、農村の地価の上昇や不動産開発によって利益を手にするのは都市部の政府や不動産開発業者だったのです。






2020年10月5日月曜日

中国の住宅市場の二層構造問題を如何に解決するか




はじめに

 中国の都市住宅市場は2003年に都市戸籍を持つ都市世帯に完全な財産権が与えられてから急激に成長する事になりました。この財産権によって、彼ら都市家族は利益目的で自由に不動産を売買できるようになったのです。自由市場における住宅価格の上昇はほんの数年前に購入した不動産を売却する事でこうした都市家族に莫大な利益をもたらしました。
 そして中国におけるこうした住宅ブームはどうやらバブルでは無く、崩壊する兆しを見せる事もありません。それを可能にしているのが地方政府による売れ余った住宅の低価格の公営住宅としての再販、中央政府の市場介入による価格抑制、また住宅購入時の比較的高い頭金の設定などでした。
 この様にきちんとした監視と政策の下で賑わっている中国の都市住宅市場は堅実である様に思えますが、実際には大きな問題を抱えています。それが高所得者向け高級住宅と移住者や低所得者向けの低級住宅の二層に分かれた住宅市場システムの構造です。この構造は中国の住宅民営化の名残とも言えます。
 今回はこの“二層問題”に政府がどの様に対応しているのかについて見ていきます。

高所得者向けの層(第一の層)とは

 まず、二つの層に分かれた中国の住宅市場システムの内、高所得者向けの高級住宅の層がどの様なものなのかを見てみましょう。
 この層は1998年からの住宅民営化のおかげで比較的高価な住宅を政府からの支援や格安の政府設定価格を利用して簡単に購入できた恵まれた人々の層です。もちろん、彼らがこうして購入した住宅を後に市場価格で売却する事で莫大な利益を得ることが出来た事も忘れてはいけません。そしてこの層はもう一方の低価格の住宅層に比べてより市場原理的に営まれている層でもあります。住宅価格の上昇が日々起きている市場という事です。
 中国都市部の一等クラスの人々がこの層の客であり、彼らは自分達の家をより高級なものにアップグレードする為に新たに家を購入する様な高収入で裕福な人達です。
 この高級住宅層は慢性的な住宅供給過剰にあると言う事が出来ます。と言うのも、これら高級住宅団地が建てられる土地を管理・支配していた中国の都市政府が、自分達が利益を得るために高級な住宅団地の建設を促進する事にあまりにも熱心になり過ぎていたからです。都市政府が住宅団地用の土地を支配していたという事は、勿論、その住宅が売れればその都市政府に大きな利益が入る事になります。結局、都市政府の役人達が自分達が豊かになる事を目的に、不必要に大量に住宅団地が建設されていったのです。

移住者・低所得者向けの層(第二の層)とは
 前項で述べた高級住宅の層に対して、移住者(或いは出稼ぎ労働者)や収入が低すぎて公開市場価格ではとても住宅を購入できない様な家族の需要に対応しているのが、中国の住宅市場システムの内、手頃住宅(比較的低価格な住宅)の層です。第二の層と言っていいでしょう。
 この層の客は住宅民営化の際に、都市戸籍を持たなかった事や十分な貯金が無かった事などを理由に不動産市場にうまく参入できなかった、不幸な世帯の人々です。前項で述べた恵まれた世帯が格安の内部価格で住宅を購入し、自由市場の高価格でそれを売却して莫大な利益を得ている時に、この層の世帯は苦労して溜めた僅かな貯金をはたいて公開市場価格の高い住宅を購入しなければなりませんでした。 そしてこの第二の層を構成している手頃住宅は供給不足に悩まされており、この事が移住者や低所得者にとって大きな問題になっています。これらの層の人々は主に農村出身者などの低所得者であり、その為数が多いので、手頃価格の住宅には大きな需要があるにもかかわらず、供給が不足しているのですから、これは当然ですね。

政府による高級住宅層(第一の層)の問題解決

 中国の中央政府は、高所得者向けの高級住宅の供給過剰と低所得者向けの手頃な住宅の供給不足の問題を2007年頃に特定し始め、2010年までにはこの問題を解決するための一式の政策を用意していました。
 まず高級住宅の供給過剰についてどの様に問題を解決しようとしたか見ていきましょう。政府はまず住宅購入の際のより高い頭金の設定をしました。それまで持家住宅については頭金は最低20%とされていましたから、これより高く、つまり30%や40%の頭金に設定し直したという事です。一方の投資用不動産(持ち主が住む以外の利益目的の家)についてはそれまで頭金は60~70%でしたから、これより高く、つまり80~90%に再設定されたという事でしょう。
 また、政府は住宅ローンの利率(分割で支払っていく際に利息として原価に上乗せする分の代金)についてもより高く設定しました。
 さらに、一人の人が購入できる不動産の数についても制限を設けるようになったのです。一人が投資用住宅を3つも4つも購入する様な事は出来なくなったという事でしょう。
 これらの厳格な制限によって、高級不動産への需要を鈍化させ、それによって住宅価格を引き下げ、また不動産開発者がこうした高級住宅をそれ以上多く建てる事を妨げようとしたのです。

政府による手頃住宅層(第二の層)の問題解決

 政府の政策の第二部は勿論、先述した低所得者向けの手頃な価格の住宅の供給を増加させる事です。具体的にはこれは大規模な公営住宅を建設する計画です。この計画では、政府による様々な刺激策や助成金を通して低所得者向けの手頃住宅の供給量を増やす事を目的としています。不動産開発業者に政府が様々な優遇措置を施す事で低価格の公営住宅の建設を促進するという事ですね。

まとめ

 中国の住宅システムが高級住宅の層と低価格住宅の層に二分されてしまっていると言う問題に焦点を当て、中国政府がこの問題にどのように取り組んできたかを見てきました。
 まず第一の層である高級住宅層では住宅の供給過剰が起きていました。それを解決するために政府は住宅購入の際の頭金やローンの利率を引き上げたり、一人当たりの購入可能物件数に制限を設けたりしました。
 また第二の層である低所得者向けの手頃住宅層では逆に供給不足が問題になっていました。そこで政府は大規模な低価格の公営住宅の建設計画を立てました。
 こうして住宅システムの両方の層、つまり高所得者向けの層と低所得者向けの層における問題をそれぞれ解決しようとしたのです。
 こうした政策がうまく行ったかどうかについてはまた次回以降見ていきたいと思います。重要なのは、数の多い低所得者向けの住宅が供給不足で、数の少ない筈の高所得者向けの住宅が供給過剰であると言う逆説的な中国の住宅市場の状況です。






2020年10月3日土曜日

農夫達の土地使用権は改革開放以降どの様に改善されて来たか




はじめに

 中国農村部では、農夫達の耕作する農地に関する彼らの権利が大きな問題になってきました。彼らは農地を使用する権利はあっても、それを所有する権利は持っていないのです。これは都市部の世帯の持つ完全な形の財産権と比較すると大きな違いです。
 都市世帯はこの財産権を利用して不動産売買も自由にできた為、それによって莫大な利益を得る事も出来ましたが、一方の農村世帯にはこうした不動産の自由な売買と言うのが一切認められてこなかったのです。
 農村では都市戸籍を持たないという事が財産権にも大きな影響を及ぼし、それによって富や収入にも大きな格差が出来てしまっているのです。
 今回は彼ら農夫達の土地使用権が改革開放以来、政府によってどの様に改善されてきたのかについて見ていきたいと思います。

1980年代の世帯農地の使用権改革

 1978年末に改革開放が行われ、趙紫陽と万里の政策の下でそれまでの集団で農地を管理・耕作する体制(人民公社)は廃止され、農地が各世帯に返還され、それら家族が比較的自由に農地を耕作できるようになりました。初めは1年から3年だった世帯農地の使用契約期間も徐々に延長されるようになり、1980年代半ばまでには15年にまで引き伸ばされました。
 15年間も自由に耕作できるのなら、農夫達も長期的な展望を持って設備投資なども比較的気軽に出来そうに思えますが、実際にはこれらの権利は非常に不安定なものでした。と言うのも当時、彼らの土地はまだ集団、即ち村全体によって所有されており、契約期間中に村の当局が各家庭に割り当てられた耕作用の土地小区画を配置転換してしまう事が普通に起きていたのです。農夫世帯がせっかくそれまで一生懸命に自分達家族の土地を耕作してきたのに、契約期間の途中でこの土地が別の家族の手に渡ってしまえば、それまでの努力は無駄になってしまい、また新たな土地で耕作を始めなければなりません。1980年代中国農村ではまだこの様な理不尽が頻繁に起きていたのです。

村当局による配置転換の権力

 1980年代に農村で普通に見られた村当局によるこの土地の配置転換ですが、これがどれ位権力を持っていたのかを見ていきましょう。
 もちろん、配置転換はいい目的で行われる事もありました。例えばその農夫家族の人数が増えたために、それに対応してもっと広い耕作用地を与える事になる様な場合ですね。
 しかし、配置転換には恐ろしい面もありました。もしその農夫世帯が村の党書記の機嫌を損ねるようなことをしたとしたら、この配置転換によってその世帯はより劣悪な耕作用小区画を与えられ、その劣った環境で農業を営む羽目になる事もあり得たのです。当時はまだ村にも当局の権力と言うものがあり、農夫達はその機嫌を窺いながら細々と農業をしなければならなかったのです。

1990年代の農地に関する法律の改定

 この様な耕作用地の配置転換の習慣のせいで、農夫達が今後どれだけ長く自分達の耕作用区画を耕作する権利があるのかは不確かになり、農夫達の将来に不安が生じていました。自分達の育ててきた土地をいつ取り上げられるか分からない状況では、安心して耕作に励む事が出来ないのは当然ですね。その為に彼らは自分達の農業に大きな設備投資をする事にも消極的だったのです。
 そうした設備投資を実りあるものにする為にはとにかく安定した土地の使用期間が必要でした。そこで政府は農夫達の土地使用権を長くし、また同時にこれを強化する事に重大なエネルギーを投じてきました。
 1993年に農地の標準契約期間は30年にまで延長され、この期間は1998年の土地管理法に記入されました。地方の共産党の権力が農地の配置転換を頻繁に起こしていたのも事実かもしれませんが、同時にこうした問題があった時にそれを解決すべく法律を書き換えるのが容易なことも共産党一党独裁の中国という国の利点なのかもしれません。
 法律に農地の使用期間が明記されるようになったのですから、村当局も容易には農夫から農地を取り上げて配置転換したりは出来なくなったでしょう。

2000年代に正式化された農地使用権

 こうして1990年代に改善が進んだ農地使用権ですが、2000年代に入ってこの権利がさらに正式なものになって行きます。2004年に農村土地契約法と言う法律が制定されます。この法律によって、農地の使用権は契約書に正式に書き入れられなければならなくなり、さらに村当局は契約期間の終了前に勝手に土地を配置転換する事は出来ない、と定められました。そして配置転換には村会の2/3の投票が必要になったのです。
 こうして2000年代半ばになって、ようやく中国の農夫達にも本当の意味で自由に自分達の農地を耕作できる権利が与えられるようになったのです。さらに2007年の不動産法は農夫達の土地使用権が個人の財産権の一種であると定めています。農夫達はまだ土地を所有は出来ないけど、与えられた土地を自由に使って作物を栽培し、それによって利益を得る事が出来る様になったのです。

まとめ

 農夫達の土地使用権が過去30年以上かけてどの様に改善されて来たのかを見てきました。
 改革開放直後の1980年代は、使用契約期間中でも平気で耕作用地を配置転換されていました。
 これでは農夫達が効率的に農業を営めないという事で、1990年代に入ってから徐々に法律に彼らの農地使用権が明記される様になって行きます。 
 そして2004年に農村土地契約法が制定され、村当局による勝手な農地の配置転換が禁止されます。中国の農夫達が安心して自由に農地を耕作できるようになったのが2000年代に入ってからだったと言うのは驚きですね。
 しかし彼らにはあくまで土地の使用権しか認められておらず、土地を自由に売買する為の所有権や完全な財産権が認められる事は今後の課題です。






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