2020年8月31日月曜日

住宅民営化の光と影




はじめに

 1990年代後半に起きた中国の住宅民営化(それまで国有だった住宅の自由市場への参入)は、不動産の自由な売買への参入を通して都市部世帯を急速に豊かにして行きました。
 今回は何故中国の住宅価格が住宅民営化後10年以上に渡り上昇し続ける事が出来たか、その理由と住宅民営化の影の部分、つまり幸福な家庭とそうでない家庭を生んだ不平等や不公平の増加に焦点を当てて解説して行きます。

住宅価格の上昇が長期間続いた理由

 まず住宅の初期価格が極めて低かった事がその理由の一つでした。中国では1990年代後半の住宅民営化までは住宅は原則国家が所有・管理していたので、そこには市場原理が働いておらず、従ってそれ以前の数十年間住宅価格が変わることがなかったのです。市場原理がはじまったスタート地点での価格が極めて低いのですから、住宅の需要と供給がバランスするまで時間と共に住宅価格が上昇する事になります。
 もう一つの理由は、同じく住宅民営化の初期段階において住宅供給が非常に不足していたという事です。都市世帯や不動産開発業者からの膨大な需要があるにも関わらず供給が極めて少ないのですから、価格は上昇せざるを得ません。そして一度自由市場的な条件が中国の住宅市場に定着すれば、この価格上昇が需要と供給がバランスするまで続くのです。

住宅民営化の光と影

 住宅民営化によって中国都市部の恵まれた世帯は彼らの所属する単位(労働を媒体として市民を管理・支配していた中国特有の組織)から市場から隔離された格安の内部価格で住宅を購入できました。彼ら恵まれた都市部世帯はこうして容易に住宅を購入することが出来、その市場価格が上昇した後でそれらを売却することで莫大な富を蓄えることが出来たのです。しかも彼らは売却するまでの期間、購入した住み心地の良い高級な住宅に住むことが出来るのです。都市部世帯が享受したこうした富は正に中国政府からの優遇による賜物だったのです。数字にして何千万世帯という都市部の家族がこうして急速に豊かになったのです。
 しかしその一方で、そうした利益を享受できなかった不幸な世帯も多くあった事を忘れてはいけません。つまり結局は恵まれた者が得る事ができた利益と言うのも、こうした恵まれない者の支払った代価によってもたらされていたのです。そしてここに中国都市部での不平等と不公平が存在していたのです。以下ではこの二者それぞれにクローズアップして解説して行きます。

恩恵を享受した世帯

 まず、住宅民営化の恩恵を受ける事ができた世帯とはどういう世帯だったのか解説しましょう。
 一言で言えば、彼らは国が所有している住宅、即ち単位が管理している住宅に住む人々でした。住んでいる住宅が国所有のものである場合に、それを格安で購入できたのです。この際、政府からの助成金などのさらなる優遇措置もありました。そして数年後にはこの格安物件の価格が自由市場で何倍にも膨らみます。それを売却する事で大きな利益を得る事ができるのです。
 そしてもし、その世帯の夫婦が共に単位から住居を割り当てられていれば、住宅民営化による恩恵も2倍になったのです。この場合、格安で購入できる住居が2つあると言う事だからです。さらに、彼ら夫婦がその両親から住居を相続していたなら、それに応じて利益もさらに増加した事でしょう。  
 つまり住居や家の居住権を複数持っている家庭はそれに応じて何倍もの利益を得る事ができたのです。住宅民営化の恩恵を大いに享受できた世帯と言うのは国有住宅の居住権を複数持っている世帯だったのです。

恩恵を享受できなかった世帯

 一方で、こうした恩恵を受ける事ができなかった世帯とはどんな世帯だったのでしょうか?彼らは住宅民営化が行われた1990年代後半~2000年代前半に運悪く国有住居に住んでいなかった人々です。または国有住宅に住んでいても初期の市場に参入するだけの資金が手元に無かった人々の事でもあります。 つまり中国で市場原理が始まって間もない時期の格安の内部価格にすら手が届かなかった世帯という事です。 
 国有住居に住んでいなかった世帯は先述の恵まれた世帯の様に単位から格安の内部価格で自分達の住む住宅を購入する権利がありませんから、労苦により稼いだ彼らの僅かな貯金をはたいて当時市場原理により価格が上昇し続けていた住居を購入しなければなりませんでした。
 ちなみに当時の住宅価格の上昇スピードは、世帯収入の上昇よりも速かったという報告が少なくともいくつかの都市でありました。要は政府からの支援や優遇なしで都市部の住居を購入するなどと言うのは一般家庭の収入では極めて厳しいものだったのです。

まとめ

 1990年代後半から中国の住宅民営化、即ち国有住宅の自由市場への参入、が都市部の世帯にもたらしてきた恩恵と、その原因となった住宅購入条件における世帯間の不平等、不公平を見てきました。重要な事は、単位の所有・管理していた住居にその世帯が住んでいるかどうかで、その世帯が住宅購入の際に国家から受ける待遇が大きく違ったという事です。  
 もしそうであれば政府からの資金援助を受けた上で格安で住宅を購入出来、後に上昇した市場価格でそれを売却する事で莫大な利益を得る事ができました。  
 そしてもしそうでなければ僅かな貯金をはたいて高価な市場価格の住宅を優遇なしでそのまま購入しなければなりませんでした。  
 結局は後者が犠牲となって前者の利益となっていたという事です。






2020年8月29日土曜日

郷鎮企業の担った役割とその衰退まで




はじめに

 中国の農村経済を支えていた郷鎮企業は1980年代から1990年代中盤にかけて労働力やGDPの面で大いに活躍しました。
 今回はこの郷鎮企業が改革による移行期の中国経済にどの様にあるべき産業モデルを提示して行き、そしてその後どの様に衰退して行ったかを見て行きます。

郷鎮企業のピーク

 1978年末の改革開放以降、中国の農村地帯では生産高の劇的な向上によって豊かになる農夫が増加しました。
 1980年代、その豊かさや余剰労働力によって各地に郷鎮企業を含む農村企業が生まれる様になります。そして1995年にはGDPの4分の1がこの農村企業によって担われていました。その内、集団郷鎮企業は半分を担っていました。つまりGDPの8分の1が農村の郷鎮企業によって担われていたのです。そしてこの時期が集団所有型の郷鎮企業(農村部の地方政府や農夫などの私人が集団で所有していた郷鎮企業)の生産力のピークとなり、以降は徐々に衰退する事になります。何故なら、1995年以降は改革され、より生産効率を増した国有企業や都市部で新たに立ち上がった私企業との激しい競争に直面しなければならなくなったからです。
 1980年代から1990年代半ばにかけて成功を収めた農村部の小規模企業も、さすがに改革を経た近代的な都市部の企業の力にはかなわなかったという事です。

郷鎮企業の民営化

 こうした衰退もあって、集団所有型の郷鎮企業の大半は2004年までに主にその経営者によって買収され、民営化されます。
 中国当局は経済資料を作成する際に未だに郷鎮企業の名目でその生産高を掲載していますが、それらの企業は立地こそ農村地帯やそれより若干都市に近い農村地帯ですが、実質は私企業なのです。つまりこの所有者はもはや農村部の地方政府や農夫の集団ではなく公の株主という事になります。
 近代化に伴い、集団で農村企業を所有する事が高い生産性を生んだ時代はもはや過去のものとなったのです。

改革時代初期に郷鎮企業が担った役割

 郷鎮企業が中国の経済改革期に、特に産業開発に置いて担った役割をいくつか紹介しましょう。  
 まず一つ目に、郷鎮企業は国有企業や都市部の私企業に先んじて広範囲に渡る消費財の製造に関する基礎を作ったということを忘れてはいけません。郷鎮企業は当初は農夫世帯の農業用器具などの商品を製造するだけでしたが、急速に拡大してからは扇風機や自転車、台所用器具などのより身近で多種多様な消費者向製品の製造に参入するようになったのです。近代的な消費社会の礎を築いたのが中国では農村の郷鎮企業だったのですね。  
 そして二つ目に、郷鎮企業はまだまだ国有企業が主流だった改革後の移行期において私企業の存在余地を作ったのです。つまり中国で私企業が拡大する様になる前に、郷鎮企業がそれに準じた試験的なモデルとして活躍していたという事です。何せ郷鎮企業の所有者と言うのは農夫などの民間の人も多かったのですから、その経営は国有企業よりは明らかに私企業のものに近かったのです。  
 そして三つ目に、郷鎮企業は農業分野で生まれた余剰労働力を工場などの近代的な産業経済に移管させると言う仕組みを作り上げ、それを都市部企業の将来の雇用の仕方の模範として提示しました。実際に、郷鎮企業が栄えた1980年代および1990年代に、都市部の工場への農村部からの労働者の流入が急増しました。

郷鎮企業の衰退

 こうした重要な役割を担った郷鎮企業も1990年代中盤以降はその地位が低下します。 結局、郷鎮企業の提示した様々な新しいモデルを参考にして十分に成長した都市部の民営企業が郷鎮企業の担ってきた役割を引き継いだのです。

まとめ

 中国農村部の郷鎮企業が1980年代、1990年代前半を通じて中国の企業に新たな成長モデルを提示していく様子を見てきました。そして都市部の民営企業は郷鎮企業が製造する消費財を主とする商品や雇用方法、また経営方法などを模範として成長し、1990年代中盤以降はその役割を大いに引き継ぎ、それに伴い郷鎮企業は衰退していく事になります。 






2020年8月24日月曜日

郷鎮企業は如何にして成功したか




はじめに

 1978年末の改革開放が始まって暫く経った1980年代はじめ、中国各地の農村では人民公社が解体され、代わりに地方の農村経済を活性化することを目的とした郷鎮企業と呼ばれる小規模企業が出現する様になります。これによってそれまで農業だけを生業としていた農村部の人々が企業に参加する様になり、ますます豊かになっていきます。
 今回は1980年代以降この郷鎮企業がどの様にして成功して行ったかを見て行きます。

郷鎮企業と国有企業の違い

 まず郷鎮企業の体質について説明しましょう。郷鎮企業は中国で主流の所謂国有企業ではありませんでした。国有企業というのは中央政府や州政府、また都市政府が所有する企業のことです。この”所有”というのがどの様にして可能だったかと言うと、1990年代まではこれら政府が国有企業に優先的に投資する事で企業の経営方針などの主導権を握り、その結果得られる収益も国家のものにする事で実現されていました。まだ経営方法が株式という形ではなかったという事ですね。そして2003年からは政府が公の株式所有機関を通じてそれら国有企業をコントロールするようになりました。  
 一方の郷鎮企業はこうした政府による制約からは自由だったのです。それらを経営していたのは国家や国家経済の主な担い手である都市ではなく、あくまで農村の行政区画や比較的豊かな農夫達だったのです。実際に郷鎮企業の株式所有者と言うのは地方政府や私人でした。

郷鎮企業が成功した理由その1

 次に郷鎮企業が改革開放から間もない1980年代に成功した理由を説明しましょう。  
 まず、1980年代になってから、中国農村部では農業生産高が急激に上昇する事によって豊かな農夫が数多く生まれる様になりました。そしてこうした農夫世帯からの彼らの農業や生活を担う為の様々な商品に対する需要が高まります。そしてそうした商品を製造する工場に必要な労働力も豊かになった農夫世帯の余剰労働力から豊富に採る事ができました。こうして需要と供給がうまくバランスする事で郷鎮企業の製造業が活性化して行ったのです。

郷鎮企業が成功した理由その2

 郷鎮企業の成功にはもう一つ理由があります。それは地方政府による保護を受けてこれらを起業する事が出来る仕組みを導入した事です。こうする事で企業の立ち上げやその後の運営に必要な資本金を比較的容易に手に入れることが出来たのです。
 一方、中国以外の共産主義終焉後の変遷期の国では、小規模企業はこうした保護の仕組みが無かった為、資本の入手が極めて困難で、この制約下では起業してもその後うまく成長する事ができませんでした。この点で中国はポスト共産主義経済の例外と言えるのです。

数字で見る郷鎮企業

 郷鎮企業のこうした成功が実際にどの様なものだったかを数字で見てみましょう。1985年には郷鎮企業における雇用は4,000万人に達していました。そしてその他の農村企業も含めるとその雇用数は当時7,000万人にも及びました。その10年後の1995年には、中国の労働力の18%が農村企業に属しており、この農村企業がGDPの1/4を生産していたのです。

まとめ

 まず郷鎮企業が国有企業ではないことをその株式の保有方法から確認しました。
 そして改革開放以降、豊かになった農夫達からの需要と余剰労働力の供給が郷鎮企業の成功を可能にした事を見ていきました。またポスト共産主義経済としては珍しく、郷鎮企業には地方政府からの資本援助もあり、起業が促進され、うまく成長する事がでた事も確認しました。  
 さらに郷鎮企業を含めた農村企業が如何に中国経済の発展に貢献してきたかがデータから分かりました。






2020年8月18日火曜日

1990年代後半から中国の住宅価格が上昇し続けた理由




はじめに

 1990年代後半から、中国の住宅市場は民営化され、市場原理によって都市部の住宅価格が上昇していきました。都市部の家族は国からの補助金や安い内部価格を利用して容易に住宅を購入し、数年後にそれを市場価格で売却する事で大きな利益を得る事ができました。今回は都市住民が1990年代後半から急速に豊かになる事を可能にした都市住宅の市場価格の上昇が如何にして起きたのかを見て行きます。

都市家族が享受した利益と不動産事業の活性化

 都市部の家族は1990年代以降、中国政府の様々な支援の下、格安で自分達の住むアパートを購入する事ができました。そしてその数年後にはそのアパートの価値が市場原理によって数倍に上昇するので、時期を見て彼らはこのアパートを売却し、大きな利益を得る事ができました。こうした不動産の購入、売却を複数回行えば、より大きな利益を得る事ができたわけです。簡単な例で言えば、住宅への僅か50ドルの初期投資が10年後には500ドルにまで膨らむ事も起こりえたのです。この例で言えば都市住民の資産が10年間で10倍になるのですから、彼らが如何に急激に豊かになって言ったのかが分かりますね。
 こうして都市住民が住宅購入に意欲的になると、住宅への需要も増えるので、結果として不動産開発業者の新たな事業が次々に創出されていく事になります。つまり中国の住宅民営化は都市家族を豊かにしただけでなく、住宅事業そのものを活性化させ、中国の経済成長を促したという事です。

一般に住宅価格は上昇し続けるか?

 もちろん、上記の例は住宅価格が一定の比率で上昇し続けると仮定した場合でないと成り立ちません。そして安定した永続的な住宅価格の上昇と言うのは普通は起こらないのです。2007~2008年に起きたアメリカのサブプライムショック(住宅バブルの崩壊)の悲劇がそのいい例と言えます。この時アメリカの住宅所有者達は突然住宅価格が大きく下落した事を悲しい現実として痛感した事でしょう。  
 では中国の場合はどうでしょうか?実は中国は例外的に長期間(10年以上)住宅価格の上昇を見る事になったのです。

中国の住宅価格上昇が維持された理由

 それでは何故中国では10年以上に渡って住宅価格が上昇し続ける事が出来たのでしょうか?その大きな理由として、住宅民営化が行われて以降の都市住宅の初期価格がとてつもなく低かったと言う事があります。  
 住宅民営化が行われる1990年代後半以前、中国都市部では不動産の売買と言うのが活発には行われていませんでした。代わりに中国都市部の住宅用地は国家によって運営される単位(たんい)と言う労働組織が所有・管理していたのです。そしてこうした国家による厳格な不動産管理体制が何十年も続いていたのです。その為住宅用地の価格は変化する事が殆ど無く、本来なら市場原理によって設定されるであろう価格に比べて遥かに低い価格のままだったのです。  
 1990年代後半、住宅民営化がスタートした時点では、中国の住宅市場はまだ原初的な状態だったわけですね。

確実に利益を得る事ができた住宅市場

 こうした極めて低価格の状態から住宅価格の上昇が始まったので、中国都市部ではその1990年代後半から2000年代前半に渡って安定してこれが継続しました。実に10年あまりをかけて、真の市場価格に到達するまで住宅用地の地価が上昇したという事です。  
 地価の上昇が安定していると言う事は、都市部の不動産を手に入れることが出来る人なら誰でも巨大な利益を得る事ができたという事です。この”誰でも”と言うのは、都市部に住む一般家庭かもしれないし、その土地の再開発権を持つ不動産会社かもしれません。

まとめ

 中国都市部の家族が住宅民営化以降、如何に大きな利益を得る機会に恵まれていたか、また住宅価格の上昇が何故安定して1990年代後半から2000年代前半まで続いたのか、その理由を見てきました。  
 1990年代後半当時、中国の不動産と言うのはアメリカなどの先進国のそれに比べて相当に価格が低かった事がその主な原因でした。そしてそうした極端な低価格の原因は、住宅民営化以前の数十年間、国が単位を通して都市住宅を所有・管理していた事にありました。







2020年8月3日月曜日

国から市民への富の転移のプロセス




はじめに

 中国では1998年以降、都市住宅の民営化が行われ、これによって都市部の家族は国の援助や優遇措置を受けて気軽に自分達の住む住居を売買出来るようになりました。
 こうした背景から、彼ら都市部の家庭は徐々に住宅購入を不動産投資の機会とみなす様になっていきます。  
 今回は1998年以降に起きたこうした都市部の住宅市場の活性化によってどのように国家の富が市民に行き渡っていったのかを、分かりやすい例を用いて見て行きます。

住宅民営化で移転した富の総額

 こうした市民の住宅市場への参加によってどれだけの富が彼ら都市部の市民の手に渡ったのかを見てみましょう。  
 総額は実に5,400億ドル。日本円にして54兆円です。54兆円もの富が中国都市部の市民の手に渡っていったのです。住宅民営化は2003年に中国の殆どの地域で完了しますが、この54兆円と言うのはこの年の中国のGDPの約1/3に相当する額です。市民が住宅市場に参加して自分達の住宅を売るだけでGDPの1/3の額の利益が生まれていたのです。市場の主人公はもはや国家ではなく都市部の一般家庭になったと言うことでしょうか。

都市部家庭は如何にして富を得て行ったか:その1

 ここで実際に中国都市部の家庭がどの様に住宅を買い、どの様に売却して利益を得たかを分かりやすい例を用いて細かに見ていきましょう。  
 都市中心部で100ドルの家を購入する家庭があるとします。勿論この家庭は100ドルを支払わなければなりませんが、まだそれほど裕福な家庭ではないので50ドルしか払えません。しかし彼らの所属する労働単位が足りない分のもう50ドルを無利息で貸してくれました。これで合計100ドルです。この家族はこの100ドルでこの家を無事買うことができました。  
 さて、5年間この新居に住んだ後、彼らは国から家を売却する事を許可されます。そしてその時、その住宅の市場価格は250ドルにまで膨らんでいるのです。当初より豊かになりたいと願っていた彼らは当然この住宅を売る事にしました。250ドルが彼らの手に入ります。  
 この家族はまず労働単位に50ドルのローンを返済しないといけないので、これを支払います。すると200ドルが手元に残ります。この家族ははじめに自分達の資金から50ドルを支払っていたので、差し引き150ドルが彼ら家族が得た利益と言う事になります。  
 この150ドルは、住宅民営化が行われる以前の時代であれば国が受取る事になるお金です。何故なら当時は都市の住居を全て国が管理、所有していて、居住者はあくまでそれを借りて住んでいただけだからです。しかし住宅民営化がなされた現在は、本来国に渡るはずだったこの150ドルをその住宅の持ち主であるこの家族が受け取る事が出来るのです。  
 簡潔に言えば、本来国が受取るはずだったお金を市民、すなわちこの家庭が受取る様になったのです。だからこの150ドルは国から市民への富の”転移”とみなす事が出来る訳です。

都市部家庭は如何にして富を得て行ったか:その2

 さて、この家族はこの150ドルの利益を得た後、勿論以前より150ドル分豊かになりました。豊かになればそだけ購買意欲も大きくなります。そこで彼らは都市中心部にあるアパートを今度は2つ新たに購入する事にしました。値段はそれぞれ100ドル、計200ドルの出費です。一つは住む為のアパート。そしてもう一つは実際には住みませんが、投資としてのアパートの購入です。  
 さて、数年後、市場原理によってこれらの住宅の価格は上昇し、250ドルにまで膨らみました。これらを売却すれば計500ドルになります。初期投資が200ドルなので差し引き300ドルが利益として彼らの手に渡ります。  
 こうしてますます自由に出来るお金が増えていったのですね。

まとめ

 住宅民営化によって都市部の家庭がどの様なステップで富を得て言ったかを例を使って分かりやすく見ていきました。重要なのは、彼らが住宅の自由市場に参加する事で、国に代わって利益を得る事が出来るようになったという事ですね。







2020年8月1日土曜日

中国における住宅民営化と富の大移管




はじめに

 1990年代終盤に、中国は住宅市場の民営化を行います。これによってそれまで厳格な政府の管理下にあった都市住民の住居を今度は各家庭が個人的に所有する事が出来るようになります。そしてそうした住居には、ただそこに住むだけではなく資産としての利用価値もあったのです。
 今回はこの都市部における住宅制度の一大改革がどの様なものだったのか、そしてそれによって市民がどの様に豊かになっていったのかを見て行きます。

都市住宅の”内部価格”での提供

 1998年に首相に就任した朱鎔基(しゅようき)は前年に発表されていた国有企業改革計画を遂行します。この計画の下で、中国の国有企業と政府の労働単位は、それらがそれまで管理していた都市部の住居を開放し、市場価格からの大幅な値引き価格、即ち”内部価格”でそれを居住者に売り払いました。つまり、それまで国に安い賃料を払ってアパートに住まわされていた都市部の家庭が今度は格安でそれを購入し、自分の不動産にする事が出来る様になったのです。
 当時はまだ都市部の住宅や土地の実物市場などありませんでしたから、この値引きと言うのがどれだけ大きなものだったのかは明確ではないのですが、都市部の家庭が住宅を購入する際にこうした内部価格により金銭面で非常に優遇されていた事は確かなのです。

住宅購入の為の助成金と抵当金

 こうした優遇措置があっても、当時の多くの家族にとっては自分達のアパートを購入すると言うのはまだまだ経済的に困難でした。そこで中国政府はそうした家庭が政府や雇用主から助成金を受給したり、または非常に優遇された比率で抵当金を受取る事が出来るようにして、住宅の新規購入を促したのです。  
 都市部の家庭に対して値引きと助成金の二重の優遇措置があったわけですね。  ただし、その見返りとして購入者の家庭は基本的に最低5年間はその住宅に住まなければならず、その期間中に住んでいるアパートを売却する事は許可されませんでした。

イギリスの住宅民営化との比較

 これと似た現象が過去にイギリスでも起きています。1980年代初期に当時のマーガレット・サッチャー首相がイギリスの国有住宅の民営化を行ったのです。自由主義圏であるイギリスにもかつては国有住宅があったんですね。ただし、中国の場合の民営化はこれよりも規模が随分と大きかったという事です。

国から市民への富の譲渡は如何に起こったか

 歴史を見渡しても、中国における住宅民営化ほど大規模な国から市民への富の譲渡はなかなか見当たらないと言われています。個人が自由に住宅を売買できるようになってから、本来国家のものになる筈の財産がそれまで堅苦しい生活をしていた都市部の市民の手に次々に渡っていったのです。ではどの様にしてこの富の譲渡が可能になったかを見ていきましょう。  
 まず都市部の家庭は先述の方法で本来なら高価で手が届かない不動産を市場価格よりも遥かに安い値段で購入出来る様になります。そして彼らは定められた期間(およそ5年間)その住宅に住んだ後、市場原理によって以前よりも価値が増したその不動産を売り払い、大きな利益を得ることが出来たのです。
 つまり住居を国が管理していた時代なら国が受取るはずだったこの購入時の低価格と売却時の高価格の差額がまるまる一般家庭の手に渡ったのです。国家が市場価格を利用して利益を得ることをせず、住宅の自由市場に市民を積極的に参加させる事で彼らを豊かにしていったという事ですね。
 こうして住宅民営化は市民を徐々に豊かにし、この事がその後10年間の空前の住宅ブームの基礎を築いたのです。
 それまでは堅苦しい生活を強制されていた中国都市部の市民ですが、1990年代終盤からは彼らの住宅事情と豊かさに対して中国政府からの過剰と言えるほどの配慮があったという事です

まとめ

 中国の都市部世帯の住宅購入が国によってどれ程支援されていたか、そしてその結果、どれ程大きな富が国から市民へ譲渡されたかを見てきました。こうして豊かになった都市市民が中国における史上空前の住宅ブームに参入していく事になります。






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