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2020年10月3日土曜日

農夫達の土地使用権は改革開放以降どの様に改善されて来たか




はじめに

 中国農村部では、農夫達の耕作する農地に関する彼らの権利が大きな問題になってきました。彼らは農地を使用する権利はあっても、それを所有する権利は持っていないのです。これは都市部の世帯の持つ完全な形の財産権と比較すると大きな違いです。
 都市世帯はこの財産権を利用して不動産売買も自由にできた為、それによって莫大な利益を得る事も出来ましたが、一方の農村世帯にはこうした不動産の自由な売買と言うのが一切認められてこなかったのです。
 農村では都市戸籍を持たないという事が財産権にも大きな影響を及ぼし、それによって富や収入にも大きな格差が出来てしまっているのです。
 今回は彼ら農夫達の土地使用権が改革開放以来、政府によってどの様に改善されてきたのかについて見ていきたいと思います。

1980年代の世帯農地の使用権改革

 1978年末に改革開放が行われ、趙紫陽と万里の政策の下でそれまでの集団で農地を管理・耕作する体制(人民公社)は廃止され、農地が各世帯に返還され、それら家族が比較的自由に農地を耕作できるようになりました。初めは1年から3年だった世帯農地の使用契約期間も徐々に延長されるようになり、1980年代半ばまでには15年にまで引き伸ばされました。
 15年間も自由に耕作できるのなら、農夫達も長期的な展望を持って設備投資なども比較的気軽に出来そうに思えますが、実際にはこれらの権利は非常に不安定なものでした。と言うのも当時、彼らの土地はまだ集団、即ち村全体によって所有されており、契約期間中に村の当局が各家庭に割り当てられた耕作用の土地小区画を配置転換してしまう事が普通に起きていたのです。農夫世帯がせっかくそれまで一生懸命に自分達家族の土地を耕作してきたのに、契約期間の途中でこの土地が別の家族の手に渡ってしまえば、それまでの努力は無駄になってしまい、また新たな土地で耕作を始めなければなりません。1980年代中国農村ではまだこの様な理不尽が頻繁に起きていたのです。

村当局による配置転換の権力

 1980年代に農村で普通に見られた村当局によるこの土地の配置転換ですが、これがどれ位権力を持っていたのかを見ていきましょう。
 もちろん、配置転換はいい目的で行われる事もありました。例えばその農夫家族の人数が増えたために、それに対応してもっと広い耕作用地を与える事になる様な場合ですね。
 しかし、配置転換には恐ろしい面もありました。もしその農夫世帯が村の党書記の機嫌を損ねるようなことをしたとしたら、この配置転換によってその世帯はより劣悪な耕作用小区画を与えられ、その劣った環境で農業を営む羽目になる事もあり得たのです。当時はまだ村にも当局の権力と言うものがあり、農夫達はその機嫌を窺いながら細々と農業をしなければならなかったのです。

1990年代の農地に関する法律の改定

 この様な耕作用地の配置転換の習慣のせいで、農夫達が今後どれだけ長く自分達の耕作用区画を耕作する権利があるのかは不確かになり、農夫達の将来に不安が生じていました。自分達の育ててきた土地をいつ取り上げられるか分からない状況では、安心して耕作に励む事が出来ないのは当然ですね。その為に彼らは自分達の農業に大きな設備投資をする事にも消極的だったのです。
 そうした設備投資を実りあるものにする為にはとにかく安定した土地の使用期間が必要でした。そこで政府は農夫達の土地使用権を長くし、また同時にこれを強化する事に重大なエネルギーを投じてきました。
 1993年に農地の標準契約期間は30年にまで延長され、この期間は1998年の土地管理法に記入されました。地方の共産党の権力が農地の配置転換を頻繁に起こしていたのも事実かもしれませんが、同時にこうした問題があった時にそれを解決すべく法律を書き換えるのが容易なことも共産党一党独裁の中国という国の利点なのかもしれません。
 法律に農地の使用期間が明記されるようになったのですから、村当局も容易には農夫から農地を取り上げて配置転換したりは出来なくなったでしょう。

2000年代に正式化された農地使用権

 こうして1990年代に改善が進んだ農地使用権ですが、2000年代に入ってこの権利がさらに正式なものになって行きます。2004年に農村土地契約法と言う法律が制定されます。この法律によって、農地の使用権は契約書に正式に書き入れられなければならなくなり、さらに村当局は契約期間の終了前に勝手に土地を配置転換する事は出来ない、と定められました。そして配置転換には村会の2/3の投票が必要になったのです。
 こうして2000年代半ばになって、ようやく中国の農夫達にも本当の意味で自由に自分達の農地を耕作できる権利が与えられるようになったのです。さらに2007年の不動産法は農夫達の土地使用権が個人の財産権の一種であると定めています。農夫達はまだ土地を所有は出来ないけど、与えられた土地を自由に使って作物を栽培し、それによって利益を得る事が出来る様になったのです。

まとめ

 農夫達の土地使用権が過去30年以上かけてどの様に改善されて来たのかを見てきました。
 改革開放直後の1980年代は、使用契約期間中でも平気で耕作用地を配置転換されていました。
 これでは農夫達が効率的に農業を営めないという事で、1990年代に入ってから徐々に法律に彼らの農地使用権が明記される様になって行きます。 
 そして2004年に農村土地契約法が制定され、村当局による勝手な農地の配置転換が禁止されます。中国の農夫達が安心して自由に農地を耕作できるようになったのが2000年代に入ってからだったと言うのは驚きですね。
 しかし彼らにはあくまで土地の使用権しか認められておらず、土地を自由に売買する為の所有権や完全な財産権が認められる事は今後の課題です。






2020年9月28日月曜日

都市と農村をバランスよく改革する事の難しさ




はじめに

 中国では1978年末の改革開放以来、農村部の経済を優先した趙紫陽と万里による政策が1980年代にまずあり、その後1989年に天安門事件が起きて以降は、その原因となった都市の不満を払拭するために江沢民による都市優先型の改革が2000年頃まで続き、それに続く2003年からの胡錦濤-温家宝政権では再び農村の社会サービスやインフラを充実させるなどの農村重点型の政策が進められてきました。
 今回は改革開放からの35年間、こうした農村ひいきと都市ひいきの間で中央政府の政策が揺れる様子についてより詳しく見ていきたいと思います。

農村優遇と都市優遇のバランスを取る事の難しさ

 中国の改革期の歴史を見れば、農村の利益と都市の利益を政策において同時に大事にする事が如何に難しいのかがよく分かります。
 趙紫陽と万里による改革初期の10年の政策は過度と言ってもいいほどに農村を優遇したものでした。
 続く1989年から2003年の改革(主に江沢民が指導)は都市重点型のものになり、代りに農村部は停滞する事になります。
 そしてその後の胡錦濤と温家宝の10年はそれ以前に比べればバランスはより取れていましたが、この政権による一連の農村の救済措置は将来の中国における都市中心の開発計画を練り上げ、それに期待を寄せていたロビーグループ(圧力団体)などから「生ぬるい」などと批判される事になります。

胡錦濤政権は都市改革と農村改革をバランスできたか?

 胡錦濤政権は社会的セーフティーネットを拡充したり、また農産物の政府による買い上げ価格を上げて農夫の収入を上昇させたりする事で農村の人々の生活を豊かにしようと努めましたが、農村問題に関心を示さない都市部エリート達からはそうした政策は時間の無駄と思われていたのです。前項でも見た様に、胡錦濤以前の政権の政策を見れば、中央政府が改革開放以来の25年間、農村と都市のどちらか一方にしか尽くせていなかった事がかなり明確に分かります。
 そうした背景の中で胡錦濤政権はやや例外的なのかもしれませんが、都市部から見ればこの政権の10年はまるで政治空白の様に評価されており、農村問題にだけ取り組んだという位置付けです。それでも、天安門事件の時の様に都市の不満が爆発する様な事態にはなりませんでした。勿論それはこの前政権である江沢民時代に既に都市が急激に豊かになっていた事も原因でしょうが、都市からのあからさまな反発を招く事にならなかった胡錦濤政権は今までの政権の中では最もバランスが取れていたと言えるかもしれません。

今後の中国農村部の人口

 この様にバランスを取ることが困難な都市部と農村部の改革ですが、今後はどちら寄りで改革が進む事になるのでしょうか?胡錦濤政権の10年が都市からあまり評価されていない事を考慮すれば、おそらくまた暫く都市化に重点を置いて政策が進められるでしょう。
 都市化が進めばそれだけ農村人口も仕事を求めて都市部へ移住する事になるので、結果皆が豊かになれる様にも思えますが、中国では都市戸籍を持たない農村労働者は都市部で十分な社会サービスを受けられなかったり、劣悪な住居に住むしかなかったりと、今のところ都市戸籍所有者との生活水準の格差が顕著です。また移住労働者の家族は都市へ移り住む事を原則許可されていないので、農村に残らなければなりません。
 その結果、おそらく今から20年後の中国の人口分布も全人口の30%、およそ4億人がいまだに地方に住まわされているという形をとるだろうと推測されています。中国の政策立案者たちは移住者の大量流入による都市のスプロール化やスラム化を恐れて中々戸籍制度を緩和あるいは撤廃しようとしません。それでも農村と都市の間の格差を何とか是正しなければならないという緊張感から断続的に農村の社会・経済を改善しようとしてきたのです。

今後の農村改革の重要課題としての土地保有権

 胡錦濤政権の時代に健康保険や年金など、近代的な社会サービスが中国の農村に導入されました。またこの時期、農産物買い上げ価格の引き上げが行われ、農村の収入も上昇し、都市収入と農村収入の比率が3倍以下にまで下がりました。格差が縮まりを見せたという事です。この様にして以前に比べれば中国の農村も随分と暮らしやすくなったと思われますが、それでもまだ都市部との富や収入の格差は極めて大きく、今後もこれを解消すべく既存の制度を改革していく必要があります。
 中でも重大なのが農夫たちの土地の所有権の問題です。一般に、中国の農夫は土地を所有はしていません。代わりに長期の契約による使用権を持っているだけなのです。つまり不動産に関する財産権を農夫達は持っていないのです。土地を持っていれば人に貸したり、時期を見て市場価格で売却したりする事で大きな収入を得る事もできるでしょうが、中国の農夫達にはそれが出来ないのです。一方の都市部の家庭は不動産に関する完全な形の財産権を持っています。都市と農村におけるこうした制度の違いがそのまま都市と農村の富や収入の不平等の最も大きな原因になっているのです。
 1978年から1983年の間、趙紫陽と万里の政策の下で初めて農地が集団統制から解放され自由化された時、農家は一般的に特定の土地の一区画を1年から3年の間耕作する権利のみ与えられました。改革開放以降、人民公社が解体され、耕作が各農夫世帯によって自由に行われる様にはなったものの、それもあくまで契約制であり、当初からその土地を財産として活用する事は出来なかったのです。今後どのように農夫の財産権が改革されていくかが喫緊の問題になっています。

まとめ

 中国では改革開放以来、農村と都市の両方をバランスを取って改革する事はほとんど出来ていませんでした。それは都市部エリートなどの都市に住む有力者たちの意見に気を配りながら政策を決めて行かなくてはならない中央政府の宿命なのかもしれません。実際に1980年代に強引に農村経済を立て直そうとした趙紫陽は政権の座から追放されてしまいますし、2000年代に農村政策を推し進めた胡錦濤も都市部からの批判を受ける事になります。
 1978年以来、まず農村改革を10年、その後都市改革を14年、その後再び農村改革を10年と、改革は農村か都市のどちらか一方の利益に偏重して来ました。こうした力の入れ方をよりバランスさせることが今後の課題ですが、いずれにせよ、最も重大な問題は農夫達にきちんとした財産権が与えられていない事でした。これが都市と農村の間の収入や富の格差を生む大きな原因だったのです。






2020年9月21日月曜日

胡錦濤政権の農村政策に対する世間の評価




はじめに

 中国で2003年に誕生した胡錦濤(こきんとう)政権は、1990年代に入ってから久しく停滞していた農村部の改革を再開します。
 胡錦濤政権は農産物の政府による買い上げ価格を引き上げる事で農夫たちの収入を増加させ、また農村における道路や水道などのインフラ整備を促進する事で農村をより住みやすい場所に作り変えたりしました。この様にして農村の生活を困難なものにしていたいわゆる農村三問題(農業、農村、農夫の問題)を解決しようと努めたのです。
 そして2006年以降、この政権の下で農村に住む人々もベーシックインカムや年金、健康保険を利用できるようになりました。2000年代、中国農村部ではこの様に近代的な社会サービスが次々に導入され、農村の生活が急激に改善されていったのです。
 今回はこうした胡錦濤政権の農村政策の成果が世間でどの様に評価されているのかを、絶対貧困率の改善など、その数値的な成果に焦点を当てて見ていきます。

2000年代半ばから始まった農村の生産高の向上

 1990年代に都市部の改革が進む一方で停滞を余儀なくされた農村の経済は2000年代半ばから再び活性化されます。農村における穀物の総生産高は1999年には年間5億トンだったのが2003年には4億3000万トンと大きく下落してしまいます。
 しかし2003年に胡錦濤政権になってから、再び上昇を見せるようになります。2013年には6億トンを超えるまでに上昇したのです。
 また、こうした農村政策の成功は農業的付加価値(生産や加工に手間をかけて高められた農産物の価値)にも反映されるようになります。1997年から2003年の間年間3%以下だった農業的付加価値の実質成長率は続く10年間で年間5%にまで加速する事になります。こうした成果よって農夫たちの収入も大きく改善されました。

胡錦濤政権へのマイナス評価

 農村部の生活を改善する事に成功した胡錦濤政権ですが、世間からはこうした政策に否定的な意見もあります。
 こうした意見は主に農村問題に無関心な都市部のエリート層のものですが、彼らは国家主席の胡錦濤と首相の温家宝は軟弱で無責任なリーダーであり、そのおかげで中国経済は2003年から2013年の10年間に渡って停滞したのだと主張するのです。彼らに言わせればこの10年は“無駄な10年間”だったという事です。
 都市部から見ればそう映るのかもしれませんが、農村に焦点を当てればこの政権の偉業は先述の様に輝かしいもので、農業生産高の下落を上昇に転じさせ、都市部と農村の両方における総合的な社会的セーフティーネット(義務教育無償化、ベーシックインカム、年金、健康保険など)を構築したのです。

胡錦濤政権へのプラス評価

 都市部を中心に胡錦濤政権を非難する人もいた事を前項で解説しました。ここからは恐らく誰もが共通して高く評価するであろう胡錦濤政権の成果について見ていきましょう。それはずばり中国における絶対的貧困の削減でした。
 中国は改革開放が始まった1978年末から2011年までのおよそ30年間に貧困を削減する事に努めてきました。中国国内で、世界銀行が絶対的貧困と定義づける水準で生活している人の数は1981年には8億4000万人(中国人口の84%)にも上りました。それが1990年には6億8900万人(同61%)、2002年には3億5900万人(同28%)そして胡錦濤政権時代の2011年には8400万人(同6%)にまで減少したのです。
 もちろん、胡錦濤政権単独の成果ではありませんが、中国における貧困の削減に2000年代のこの政権の農村政策が大きく寄与した事は間違いないでしょう。
 貧困問題が解決に近づけば、それだけ中国都市部も安心して地方からの労働者を受け入れやすくなるでしょう。そうすれば、結局は都市部の経済成長も促進される事になるはずです。その事を考慮すれば、都市部エリート達も胡錦濤政権が行ったの様な公共的な政策を高く評価するのではないでしょうか。彼らも中国の農村が抱える豊富な人材には関心がある筈です。貧困を解決する事はそうした人材を活用する機会を都市部に与えてくれるでしょう。

農村における今後の課題

 中国国内の絶対的貧困が過去40年間で大きく削減されてきた事は確かですが、実際にそれを可能にした要因の大部分は農村の人々が都市部の高賃金の職業で働く様になった事でした。つまり農村自体の暮らしはまだまだ改善の余地があるという事なのです。何せ現在でも中国の人口の半分は地方に暮らしているのですから、農村の生産性やその付加価値を高めていくことは今後も相変わらず重要であり続けるでしょう。

まとめ

 胡錦濤政権の農村政策の成果や、それに対する世間の評価を、農村における今後の課題も含めて見てきました。農村では農村収入が上昇し、また社会サービスが導入され生活の基本が確立された事で、それまでに改善されてきた絶対的貧困率は胡錦濤政権下で一層削減される事になりました。
 一方で都市部のエリート層は農村の暮らしを改善する政策などではなく、都市の改革を1990年代同様に継続して欲しかったらしく、その為この政権に対する彼らの評価は低い様でした。しかし膨大な人材を抱える中国において、農村の貧困問題を解決する事は回り回って都市部経済にもよい影響を与える事もまた事実の様です。






2020年9月16日水曜日

胡錦濤政権による農村政策と格差の是正




はじめに

 都市部の不満が爆発した結果引き起こされた1989年の天安門事件以降、中国の経済改革はそれまでの農村重点型のものから都市重点型のものへと移行していきました。
 江沢民(こうたくみん)国家主席の指導の下、都市部では私企業の進出が促進され、商品価格も次々に自由化されます。また労働者の都市への移動制限も緩和されます。1990年代、これらの政策によって中国都市部が急激に成長する事になりますが、一方で農村はこうした自由化がなされず、その経済は停滞したままでした。これにより、都市-農村格差が拡大していきました。
 今回は1990年代に広がりを見せた都市-農村格差が2000年代に入って是正されていく様子を胡錦濤(こきんとう)政権の政策に焦点を当てて見ていきます。

胡錦濤政権の誕生とその農村政策

 2002年後半から実権を握るようになった胡錦濤国家主席と温家宝(おんかほう)首相による胡錦濤政権は、それまでの都市ひいきを是正し、農村収入を増加させ、都市と農村の様々な格差を解消しようと努めました。中国では古くから、都市と農村の格差の原因となっている農村三問題(農業、農村、農夫の問題)と呼ばれる農村特有の問題が議論されてきました。胡錦濤政権は広範な政策を展開し、この農村三問題に真っ向から取り組みました。
 政府は2006年に、それまで低く抑えられていた、政府による穀物の買い上げ価格を急激に引き上げ、同時に農産物への課税を廃止しました。これによって農夫の収入を増加させようとしたのです。
 政府は次に、農村世帯がより暮らしやすくするために農村の生活基盤の改善を図りました。具体的には、農村の道路やインフラへの大規模な投資を促進したのです。さらには、農外雇用を生み出すことを目的に、食品加工工場への投資も促しました。
 中国の農村の本格的な近代化が比較的最近である2000年代に胡錦濤政権によって行われていたのです。ちなみに胡錦濤自身は学生時代、水力工学を専攻していたこともあり、こうした農村へのインフラ導入には非常に適したリーダーだったと言えます。

農村における社会サービスの充実

 学校や医療、社会福祉などの社会サービスと言うと、それまでの中国では都市戸籍を持つ市民しか利用できないものでした。そこで政府は2006年から農村の社会サービスネットワークの再構築を始めます。それ以前の20年間の改革によって、農村の社会サービスの仕組みは分解されていたのです。
 まず、2006年には農村世帯の子供が受ける9年間の義務教育が無償化されました。さらに、2007年には農村における新たな共同医療制度が始まりました。つまり農村住民がお金を出し合って、病気になった人が低価格で医療を利用できる状態になったのです。こうして基本的な健康保険が提供されるようになりました。また同時期に、最低限所得保障(ベーシックインカム)の制度が都市部から農村地帯にまで拡大されました。
 これらの政策によってより多くの農村住民が安心して生活を営む事が出来る様になりました。2000年には農村人口の僅か13%しか健康保険を持たなかったのが、2013年には実質全ての農村居住者が何らかの健康保険を持つことが出来る様になったのです。
 2006年からの僅か十年足らずで農村世帯の暮らしが社会サービスによって急激に改善されていったのです。逆に、日本で当たり前と言われている社会サービスが中国の農村で適用されるようになったのがかなり最近である事も分かります。

年金制度の農村への導入

 2000年代半ばから起きた中国農村部での社会サービスの再構築の中でも、特に重要なのが年金制度の導入です。これは2009年に導入され、中国の歴史上初めて農村世帯に老齢年金の現金支給を保証する制度でした。高齢になり、農業に従事する事が難しくなった農夫たちにとって、この年金制度は老後の生活を支えるこの上ない安心材料となりました。
 2013年にはおよそ2億4000万人、つまり農村人口の40%近くにこの年金が適用されていました。それでも40%程度にとどまっている様子を見ると、農村ではまだまだ財源が乏しいという事でしょうか。都市部の潤沢な財源を農村に移管する事ができれば、この数字はもっと膨らむでしょうが、農村と都市の間の処遇の不平等と言うのは中国社会に今でも根強く残っているのが現状です。

数字で見る都市-農村格差の縮小

 こうした諸政策によって、都市と農村の社会的または経済的な格差はかなり是正されたと言えるでしょう。実際に、都市部平均所得と農村平均所得の比率は2007年に3.3倍でピークに達して以降、固定化する様になり、2010年以降は減少に転じています。2014年ではこの数値は3.0以下にまで下がっているのです。

まとめ

 2000年代に入って胡錦濤政権が農村の三問題、即ち農業、農村、農夫の抱える問題を如何に是正してきたかを見てきました。
 中国の2000年代は穀物の買い上げ価格の引き上げや農産物への課税の撤廃、道路や水道などのインフラ整備、そして健康保険や年金などの社会サービスなどの大幅な拡充など、農村の暮らしを社会的、経済的に豊かにする政策が目白押しでした。そしてこの結果として、都市と農村の格差が縮まりを見せている事も数字によって確認出来ました。






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