はじめに
中国では1978年末の改革開放以来、農村部の経済を優先した趙紫陽と万里による政策が1980年代にまずあり、その後1989年に天安門事件が起きて以降は、その原因となった都市の不満を払拭するために江沢民による都市優先型の改革が2000年頃まで続き、それに続く2003年からの胡錦濤-温家宝政権では再び農村の社会サービスやインフラを充実させるなどの農村重点型の政策が進められてきました。
今回は改革開放からの35年間、こうした農村ひいきと都市ひいきの間で中央政府の政策が揺れる様子についてより詳しく見ていきたいと思います。
農村優遇と都市優遇のバランスを取る事の難しさ
中国の改革期の歴史を見れば、農村の利益と都市の利益を政策において同時に大事にする事が如何に難しいのかがよく分かります。
趙紫陽と万里による改革初期の10年の政策は過度と言ってもいいほどに農村を優遇したものでした。
続く1989年から2003年の改革(主に江沢民が指導)は都市重点型のものになり、代りに農村部は停滞する事になります。
そしてその後の胡錦濤と温家宝の10年はそれ以前に比べればバランスはより取れていましたが、この政権による一連の農村の救済措置は将来の中国における都市中心の開発計画を練り上げ、それに期待を寄せていたロビーグループ(圧力団体)などから「生ぬるい」などと批判される事になります。
胡錦濤政権は社会的セーフティーネットを拡充したり、また農産物の政府による買い上げ価格を上げて農夫の収入を上昇させたりする事で農村の人々の生活を豊かにしようと努めましたが、農村問題に関心を示さない都市部エリート達からはそうした政策は時間の無駄と思われていたのです。前項でも見た様に、胡錦濤以前の政権の政策を見れば、中央政府が改革開放以来の25年間、農村と都市のどちらか一方にしか尽くせていなかった事がかなり明確に分かります。
胡錦濤政権は都市改革と農村改革をバランスできたか?
胡錦濤政権は社会的セーフティーネットを拡充したり、また農産物の政府による買い上げ価格を上げて農夫の収入を上昇させたりする事で農村の人々の生活を豊かにしようと努めましたが、農村問題に関心を示さない都市部エリート達からはそうした政策は時間の無駄と思われていたのです。前項でも見た様に、胡錦濤以前の政権の政策を見れば、中央政府が改革開放以来の25年間、農村と都市のどちらか一方にしか尽くせていなかった事がかなり明確に分かります。
そうした背景の中で胡錦濤政権はやや例外的なのかもしれませんが、都市部から見ればこの政権の10年はまるで政治空白の様に評価されており、農村問題にだけ取り組んだという位置付けです。それでも、天安門事件の時の様に都市の不満が爆発する様な事態にはなりませんでした。勿論それはこの前政権である江沢民時代に既に都市が急激に豊かになっていた事も原因でしょうが、都市からのあからさまな反発を招く事にならなかった胡錦濤政権は今までの政権の中では最もバランスが取れていたと言えるかもしれません。
この様にバランスを取ることが困難な都市部と農村部の改革ですが、今後はどちら寄りで改革が進む事になるのでしょうか?胡錦濤政権の10年が都市からあまり評価されていない事を考慮すれば、おそらくまた暫く都市化に重点を置いて政策が進められるでしょう。
今後の中国農村部の人口
この様にバランスを取ることが困難な都市部と農村部の改革ですが、今後はどちら寄りで改革が進む事になるのでしょうか?胡錦濤政権の10年が都市からあまり評価されていない事を考慮すれば、おそらくまた暫く都市化に重点を置いて政策が進められるでしょう。
都市化が進めばそれだけ農村人口も仕事を求めて都市部へ移住する事になるので、結果皆が豊かになれる様にも思えますが、中国では都市戸籍を持たない農村労働者は都市部で十分な社会サービスを受けられなかったり、劣悪な住居に住むしかなかったりと、今のところ都市戸籍所有者との生活水準の格差が顕著です。また移住労働者の家族は都市へ移り住む事を原則許可されていないので、農村に残らなければなりません。
その結果、おそらく今から20年後の中国の人口分布も全人口の30%、およそ4億人がいまだに地方に住まわされているという形をとるだろうと推測されています。中国の政策立案者たちは移住者の大量流入による都市のスプロール化やスラム化を恐れて中々戸籍制度を緩和あるいは撤廃しようとしません。それでも農村と都市の間の格差を何とか是正しなければならないという緊張感から断続的に農村の社会・経済を改善しようとしてきたのです。
胡錦濤政権の時代に健康保険や年金など、近代的な社会サービスが中国の農村に導入されました。またこの時期、農産物買い上げ価格の引き上げが行われ、農村の収入も上昇し、都市収入と農村収入の比率が3倍以下にまで下がりました。格差が縮まりを見せたという事です。この様にして以前に比べれば中国の農村も随分と暮らしやすくなったと思われますが、それでもまだ都市部との富や収入の格差は極めて大きく、今後もこれを解消すべく既存の制度を改革していく必要があります。
今後の農村改革の重要課題としての土地保有権
胡錦濤政権の時代に健康保険や年金など、近代的な社会サービスが中国の農村に導入されました。またこの時期、農産物買い上げ価格の引き上げが行われ、農村の収入も上昇し、都市収入と農村収入の比率が3倍以下にまで下がりました。格差が縮まりを見せたという事です。この様にして以前に比べれば中国の農村も随分と暮らしやすくなったと思われますが、それでもまだ都市部との富や収入の格差は極めて大きく、今後もこれを解消すべく既存の制度を改革していく必要があります。
中でも重大なのが農夫たちの土地の所有権の問題です。一般に、中国の農夫は土地を所有はしていません。代わりに長期の契約による使用権を持っているだけなのです。つまり不動産に関する財産権を農夫達は持っていないのです。土地を持っていれば人に貸したり、時期を見て市場価格で売却したりする事で大きな収入を得る事もできるでしょうが、中国の農夫達にはそれが出来ないのです。一方の都市部の家庭は不動産に関する完全な形の財産権を持っています。都市と農村におけるこうした制度の違いがそのまま都市と農村の富や収入の不平等の最も大きな原因になっているのです。
1978年から1983年の間、趙紫陽と万里の政策の下で初めて農地が集団統制から解放され自由化された時、農家は一般的に特定の土地の一区画を1年から3年の間耕作する権利のみ与えられました。改革開放以降、人民公社が解体され、耕作が各農夫世帯によって自由に行われる様にはなったものの、それもあくまで契約制であり、当初からその土地を財産として活用する事は出来なかったのです。今後どのように農夫の財産権が改革されていくかが喫緊の問題になっています。
中国では改革開放以来、農村と都市の両方をバランスを取って改革する事はほとんど出来ていませんでした。それは都市部エリートなどの都市に住む有力者たちの意見に気を配りながら政策を決めて行かなくてはならない中央政府の宿命なのかもしれません。実際に1980年代に強引に農村経済を立て直そうとした趙紫陽は政権の座から追放されてしまいますし、2000年代に農村政策を推し進めた胡錦濤も都市部からの批判を受ける事になります。
まとめ
中国では改革開放以来、農村と都市の両方をバランスを取って改革する事はほとんど出来ていませんでした。それは都市部エリートなどの都市に住む有力者たちの意見に気を配りながら政策を決めて行かなくてはならない中央政府の宿命なのかもしれません。実際に1980年代に強引に農村経済を立て直そうとした趙紫陽は政権の座から追放されてしまいますし、2000年代に農村政策を推し進めた胡錦濤も都市部からの批判を受ける事になります。
1978年以来、まず農村改革を10年、その後都市改革を14年、その後再び農村改革を10年と、改革は農村か都市のどちらか一方の利益に偏重して来ました。こうした力の入れ方をよりバランスさせることが今後の課題ですが、いずれにせよ、最も重大な問題は農夫達にきちんとした財産権が与えられていない事でした。これが都市と農村の間の収入や富の格差を生む大きな原因だったのです。


0 件のコメント:
コメントを投稿