2020年8月29日土曜日

郷鎮企業の担った役割とその衰退まで




はじめに

 中国の農村経済を支えていた郷鎮企業は1980年代から1990年代中盤にかけて労働力やGDPの面で大いに活躍しました。
 今回はこの郷鎮企業が改革による移行期の中国経済にどの様にあるべき産業モデルを提示して行き、そしてその後どの様に衰退して行ったかを見て行きます。

郷鎮企業のピーク

 1978年末の改革開放以降、中国の農村地帯では生産高の劇的な向上によって豊かになる農夫が増加しました。
 1980年代、その豊かさや余剰労働力によって各地に郷鎮企業を含む農村企業が生まれる様になります。そして1995年にはGDPの4分の1がこの農村企業によって担われていました。その内、集団郷鎮企業は半分を担っていました。つまりGDPの8分の1が農村の郷鎮企業によって担われていたのです。そしてこの時期が集団所有型の郷鎮企業(農村部の地方政府や農夫などの私人が集団で所有していた郷鎮企業)の生産力のピークとなり、以降は徐々に衰退する事になります。何故なら、1995年以降は改革され、より生産効率を増した国有企業や都市部で新たに立ち上がった私企業との激しい競争に直面しなければならなくなったからです。
 1980年代から1990年代半ばにかけて成功を収めた農村部の小規模企業も、さすがに改革を経た近代的な都市部の企業の力にはかなわなかったという事です。

郷鎮企業の民営化

 こうした衰退もあって、集団所有型の郷鎮企業の大半は2004年までに主にその経営者によって買収され、民営化されます。
 中国当局は経済資料を作成する際に未だに郷鎮企業の名目でその生産高を掲載していますが、それらの企業は立地こそ農村地帯やそれより若干都市に近い農村地帯ですが、実質は私企業なのです。つまりこの所有者はもはや農村部の地方政府や農夫の集団ではなく公の株主という事になります。
 近代化に伴い、集団で農村企業を所有する事が高い生産性を生んだ時代はもはや過去のものとなったのです。

改革時代初期に郷鎮企業が担った役割

 郷鎮企業が中国の経済改革期に、特に産業開発に置いて担った役割をいくつか紹介しましょう。  
 まず一つ目に、郷鎮企業は国有企業や都市部の私企業に先んじて広範囲に渡る消費財の製造に関する基礎を作ったということを忘れてはいけません。郷鎮企業は当初は農夫世帯の農業用器具などの商品を製造するだけでしたが、急速に拡大してからは扇風機や自転車、台所用器具などのより身近で多種多様な消費者向製品の製造に参入するようになったのです。近代的な消費社会の礎を築いたのが中国では農村の郷鎮企業だったのですね。  
 そして二つ目に、郷鎮企業はまだまだ国有企業が主流だった改革後の移行期において私企業の存在余地を作ったのです。つまり中国で私企業が拡大する様になる前に、郷鎮企業がそれに準じた試験的なモデルとして活躍していたという事です。何せ郷鎮企業の所有者と言うのは農夫などの民間の人も多かったのですから、その経営は国有企業よりは明らかに私企業のものに近かったのです。  
 そして三つ目に、郷鎮企業は農業分野で生まれた余剰労働力を工場などの近代的な産業経済に移管させると言う仕組みを作り上げ、それを都市部企業の将来の雇用の仕方の模範として提示しました。実際に、郷鎮企業が栄えた1980年代および1990年代に、都市部の工場への農村部からの労働者の流入が急増しました。

郷鎮企業の衰退

 こうした重要な役割を担った郷鎮企業も1990年代中盤以降はその地位が低下します。 結局、郷鎮企業の提示した様々な新しいモデルを参考にして十分に成長した都市部の民営企業が郷鎮企業の担ってきた役割を引き継いだのです。

まとめ

 中国農村部の郷鎮企業が1980年代、1990年代前半を通じて中国の企業に新たな成長モデルを提示していく様子を見てきました。そして都市部の民営企業は郷鎮企業が製造する消費財を主とする商品や雇用方法、また経営方法などを模範として成長し、1990年代中盤以降はその役割を大いに引き継ぎ、それに伴い郷鎮企業は衰退していく事になります。 






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