2020年7月7日火曜日

中国の農業と経済発展の関係




 今日では農業は中国のGDPの僅か9%を占めるにとどまります。一方で工業やサービス業はそれぞれ40%以上と、大部分を占めています。しかし、この様に農業のウェイトがかなり小さい現在になってもなお中国人民の半数近くが農村部に住んでいます。そして全労働者人口の1/3以上に当たる約3億人が今現在農夫として働いているのです。
 これらの数値から分かるのは、中国の農村部と都市部での貧富の差が未だに顕著であると言う事です。GDPにして僅か9%の農業に、全労働人口の33%もが従事しているのですから、それは当然ですね。そしてこの数字は、かつてこの国の経済を支えていたのが伝統農業だった事の名残なのです。
 それでは、中国が昨今言われる様ないわゆる経済大国になるまでに、この国の農業はどの様な役割を果してきたのでしょうか?話はおよそ70年ほど前にまで遡ります。

第一次五ヵ年計画と農業


 中国は1953年に脱農業化を掲げて第一次5ヵ年計画を始め、本格的に工業化がスタートします。そしてその際に軽工業よりも重工業(製鉄など)を優先していました。しかし、およそ20年に渡る悪政(大躍進政策、文化大革命など)の結果、1970年代後半になっても中国経済を支える大部分はまだ農業でした。1978年当時、農業は依然中国のGDPの37%を占め、労働人口の3/4近くが農夫でした。そして残りが重工業や軽工業で占められていました。
 こうした生産性の低い農業中心の経済から抜け出すために、中国はまず、それまで国が管理していた農地の民営化を推し進めます。そしてこの改革を発端として、1979年に毛沢東の後継者である最高指導者、鄧小平(とうしょうへい)が改革開放(中国の経済改革)をスタートさせます。それまでは国が農地を管理して、国が農夫達を人民公社と呼ばれる単位に組織化していました。改革解放後、国はその農地を農夫個人、あるいはその家族に分配して比較的自由に耕作できる状態を整えたのです。
 当時の中国はまだ農業国の側面が大きかったので、農業の効率化から経済改革が始まるというプロセスは、考えてみれば自然な事だったのですね。実は、農業から経済発展が始まり、徐々に工業化に遷移していくと言うこの経済成長モデルは、日本や韓国、台湾と言った東アジアの国々がかつて同様に辿った道のりでした。その為中国もこれらの国々にならって、工業化を成功させるために敢えて伝統産業である農業に力を入れたということです。


改革開放(1979年)以降の中国の農業


 1978年に中国共産党はそれまで都市部で安価に売られていた農産物の価格を引き上げました。農夫達の負担を軽減するためですね。ただ、自由な個人的農業経営については国はまだ非常に否定的でした。しかしその後1980年に趙紫陽(ちょうしよう)首相および万里(ばんり)副首相は共に人民公社を解体し、国家経営型の厳格な農業からより自由な家族農業に立ち戻る政策を強行に推し進めました。
 その結果1982年には国が管理していた農業集団は実質上すべて無くなり、家族農家が個々の農地を耕作する権利を与えられました。各家族農家が自分達自信の豊かさの為に比較的自由に農業を行える状態になったのです。それによる農産物生産高と農業収益は非常に大きなものでした。
 どれ程大きな収益だったのか、具体的に数値で見てみましょう。1984年までに穀物の生産高は4億トンに達し、これはその6年前(改革開放直前)の1.5倍の量に相当します。種脂や綿の生産高は年間成長率15%を維持し、肉の生産高は年10%の成長率でした。その結果、1979年から1984年の間に農村部の一人当たりの収入は2倍にも増加したのです。
 この様に、改革開放という政策がそれまで硬直していた中国の経済をまず農業の分野から急激に活性化していったのです。
まとめ

 中国の伝統農業はかつて国家によって厳格に経営されていました。その効率の低さから、第一次五カ年計画以降も工業化が飛躍的に進展する事はありませんでした。しかし1978年頃から農地や人民公社が急激に開放され、農業は家族経営化されていきました。それによって農夫達が自分達の豊かさを求めて積極的に農業を行うようになり、生産高が向上していきます。
 そして地方の農夫達がある程度豊かになると、今度は都市部を中心とした工業化、即ち農村から都市の工場への労働者の移動、が本格化するのです。そしてこうした動きが中国における本格的な都市化に繋がっていきます。





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