2020年7月7日火曜日

内戦後~改革開放直前までの中国の農業




はじめに

 今回は中国の農業がどの様に中国経済を支え、また時に国の政策に翻弄されてきたかを改革開放が始まる直前である1978年から共産党軍(現在の中国)と国民党軍(現在の台湾)との内戦終了直後である1952年にまで遡って見ていきます。
開放改革直前の地方の実態

 中国の経済改革、いわゆる改革開放時代に入る直前の1978年、中国の地方は人口過多で同時に貧困が蔓延していました。これはそれ以前の20年間に及ぶ悪政のせいでした。悪政とはつまり中国の農業・工業における生産量の増大を図った大躍進政策の失敗や、上山下郷運動を含めた文化大革命などの実質的に技術や経済を後退させようとする運動、またパスポート制度による地方から都市部への厳格な人口移動制限の事です。
 これらの政策の結果、1978年には地方人口が全人口の82%にまで達していました。都市部の人口が全人口のわずか18%という事です。実はこれは大躍進政策が始まった1958年よりも高い比率なのです。
 一方、内戦で中国共産党に敗れた国民党の蒋介石が逃げ延びた先の国である台湾ですら、1979年には国際的には中流階級の比較的豊かな国に成長していました。それは国民党との内戦に勝利した中国にとっては非常に悔しい実態だったでしょう。

大躍進政策の失敗

 前項冒頭で述べた様に、改革開放直前期における地方の貧困はそれまでの悪政によって引き起こされました。それまでの農業が非効率的に行われていたという事です。では大躍進政策を主とする政治的背景の中で中国の伝統産業の一つである農業はどのようにその形を変えて行ったのでしょうか。一言で言うとそれは国策的で非常に向こう見ずな農業政策になっていきました。具体的に見ていきましょう。
 中国共産党は国民党軍との内戦の勝利の後、毛沢東の指揮下で農地の地主を大量に粛清し、それら農地を3億人にも及ぶ小作農民達に分配しました。1952年になると、権力を増した共産党は小作農民から小さな組を組織するようになりました。その3年後、それらはさらに統合され、生産者共同組合である”合作社”になりました。
 そして共産党は個人ではなく集団で農地を所有することを国家の目標に掲げる様になります。そして1956年、今度は国家が農地を統制するようになり、国家によって経営される巨大な集団農場を作り上げました。1958年になると、毛沢東の大躍進政策の下で農業の生産性を高めることを目的に、農地の使用は厳重な国家の統制化に置かれる様になりました。こうして農地の個人所有が廃止されていったのです。
 そして農業集団から”人民公社”が組織されるようになり、それ以降、全ての農業はこの人民公社の下で行われるようになりました。この時代、個人で食料を生産することは禁止され、食べる事すら公共食堂で集団で行われなければなりませんでした。また生産高を高く見せるために農夫からの搾取も行われていました。
 こうした悪政による農業の非効率化の結果、1959年から1961年にかけて地方を中心に大飢饉が起きます。この飢饉による死者は共産党による推定1,400万人から学説による2,000~4,300万人にも上るといわれています。こうした政策の歴史的失敗の影響で1962年には農地の個人所有化が復活しましたが、人民公社は依然農村部の支配的な経済単位として存続し続けました。




都市部と地方の格差

 この人民公社はさらにより小さな団体や労働集団に分割されていました。そして各人民公社はなるだけ多量の穀物を生産するように指導されました。それらのノルマが人民公社下に置かれたより小さな団体に課されていったのですね。一方で野菜や商品作物を生産することはほとんど許可されませんでした。
 国はこうして大量に生産された穀物を安価で購入し、それを都市部の消費者の主食向けに安い価格で売っていました。都市部に暮らす人々が優遇されていたわけです。この影響で、実際に1959年には都市部の倉庫は食料で一杯だったと言われています。
 当時、国内での移動は許可証によって厳重な統制化に置かれていましたから、農夫達が地方から都市部に移動することは実際問題不可能でした。
 こうした都市優遇型の農業政策の結果は悲惨なもので、1957年から1978年の間、農夫達の収入は年1%程しか増加しませんでした。また農夫一人当たりの穀物の生産量は1955年から1978年の間で増加と言うよりはむしろ減少してしまったのです。つまり、政策としては農業の増産を進めたにも関わらず、結果としては農夫達の貧しさはほとんど改善しなかったのです。そして彼らは厳格なパスポート制度の為により良い仕事を求めて都市部の恵まれた環境に移り住む事はできず、生活が改善する事はなかったのです。

まとめ

 内戦後、はじめは農夫たちに農地を与えていた国家がいつの間にか農地や農夫を完全に管理するようになり 、農業によって国家の生産性を高めようとしました。しかしその結果、大飢饉に代表される様に国家が地方の農夫達の生活を完全に見捨てるような事態も起きました。これは改革開放という中国経済の夜明けにたどり着くための大きな犠牲という事かもしれません。今回は改革開放時代に入るまでのおよそ20年間について当時まだ未熟だった中国農業が辿った暗い時代を見ていきました。






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